NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

職人気質な医師

医師の「職人」的な部分は、もうちょっと注目されてもよかったと思う。自分の持つ技術に誇りを持ち、金銭的な報酬よりも誇りが優先する。私が想定している「職人」の典型は、「釣りキチ三平」の登場人物である、三平一平である。一平じいさんは、和竿職人の名人である。あるとき、金持ちのボンボンがやってきて言うには、「床の間にかざっておいてもはずかしくないようなデラックスな一平竿をつくれ。金だったらいくらかかってもいいぜ」「客の注文にゴタゴタ文句をならべねえですなおにつくったらどうだい」。そんで一平じいさんが切れる。





お前にはのべ竿で十分じゃい

(講談社 釣りキチ三平 2巻より)


職人は金では動かない。誇りを汚すような仕事はしない。一平じいさんほどではないものの、医師も「職人」の部分を持っている。その「職人」の割合は個人個人で幅はあるけどね。私の知っている職人気質の医師の例として思いつくのは、以前にいた病院の循環器内科の先生だ。心カテ大好き。心カテ(心臓カテーテル検査)とは、腕や脚の血管から細い管(カテーテル)を心臓まで入れて、心臓の血管に造影剤を入れて検査したり、狭くなった動脈を広げたりする処置のこと。心筋梗塞が疑われるときは、緊急に心カテが必要になるのだけれども、この先生は夜中だろうと正月だろうと病院に出てくる。嫌な顔ひとつしない。ていうか、喜々としてカテする。

その病院は準公立で、それほど給料は高くはなかった。時間外手当も雀の涙。その代わり、看護師はよく働き、客層が良く、症例数を重ねると予算がついた。心カテ室ができ、部下もついた。勤務時間と給料だけで見たら、けして労働条件が良いとは言えなかったが、循環器グループは満足そうであった。医療崩壊などと言われるちょっと前で、訴訟リスクについても現在ほどは気にされていなかった時代だった。

たとえばの話、この先生に、「金持ち相手の会員制・全額自費の冠動脈造影CT検診クリニックの院長になってくれ。9時5時で当直なし。時間外呼び出しなし。年収3倍。心カテが必要な症例は他院に紹介するので、先生がしていただかなくても結構です」という話を持ちかけても断ったと思う。というか、馬鹿にするなと怒ったと思う。「お前にはこれで十分じゃい」とモニター心電図を投げつけたかもしれない。

まあこの先生は、心カテしてないと死んじゃうような医師で、極端な例ではある。でも、多かれ少なかれ、医師はこういう部分も持っている。最近では目に見えて崩壊している医療制度であるが、それまでは少ない医師数・少ない医療費で優れた健康達成度をものにしていた。その一因には、医師の職人気質があったと思うのだ。金を積んでも動かない代わりに、いい仕事ができるのなら、別にそれほど高い報酬を要求しない。若手の医師も同じで、技術を持っている医師に学べるなら、多少労働条件が悪くても文句を言わない。そんなわけで、わりとうまくいっていた。

ときにニセ医者が逮捕される事件が報道されるが、収入は良く、大きな医療ミスも犯していない。なぜなら、ニセ医者であるがゆえに、あまり技術が必要とされる仕事はできなかったからだ。たとえば、軽症が来る夜間診療所などは、たいていは対症療法のみで事足りるし、少しでも重症の疑いがあれば大きな病院へ紹介すればいい。普通の医師はあまりこういう仕事は好まない。常勤の仕事だけでは薄給のため仕方なく、あるいは医局から頼まれて義務的にやるかである。よって、なり手が少なく、報酬金額は高目になる。割が良くても、誰でもできるバイトをするぐらいなら、たとえ時間外勤務手当がもらえない/雀の涙だっとしても、心カテや手術をバリバリやりたがる医師は普通にいた。

この風潮が変わってきたのが、ここ数年だろうか。技術に対するリスペクトが失われてしまえば、別のもので代償する必要が生じる。夜間だろうと専門医が診るのが当たり前。コンビニ受診も文句を言わずに診ろ。「患者様」に対する接遇を学べ。ミスはなくとも結果が悪ければ訴訟されるのはどんな職業でも同じだ。代わりはいないから、月に15回の当直をしろ、患者の命を軽視するのか。などなど。そういう職場からは医師が逃げる。「職人的満足感」を諦めれば、別に仕事はあるのだ。