NATROMのブログ

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おもしろそうだから人体実験してみた

脚気に関する論文をひもといていると、けっこう人体実験がなされている。昔のことだから、おおらか。二つほど紹介しよう(いずれも引用文中の強調は引用者による)。まず、ビタミン50年記念事業会発行の「ビタミン研究五十年」の大森憲太「近代の脚気原因研究のあゆみ」より。この本が発行されたのが昭和36年(1961年)。鈴木梅太郎のオリザニンの発見が明治43年(1910年)なので、それから約50年目。「米糠で脚気が治るなら小便でも治る」と鈴木梅太郎が揶揄された逸話からわかるように、1910年代の日本ではまだ微量栄養素の不足によって脚気が起こるという説は受け入れられていなかった。ビタミンB不足が脚気の原因か否かで激しい論争が起こるのだが、大森憲太(のちに慶応大学教授)が脚気ビタミン欠乏説支持の最右翼であった。約50年経って、「あのころは大変だったねえ」的な感じで書かれたのが「ビタミン研究五十年」という本。まあ自慢話。



こういうわけで自分は十分脚気治療に経験と自信とをもっておったが、この脚気ビタミン欠乏説のもつれは動物の種の相違ということも考えられるので、人体について直接実験するほか道はないと決意してビタミンBのみ不足し、熱量、蛋白質、脂肪、塩類など十分なりと思われる日本食をもって人体実験を敢行した。ビタミン学の進歩によって各種食品のビタミン含有量(Eddyのビタミン表)も明らかとなり、この食組成をもって動物試験の結果、ビタミンB欠乏が確かめられた。大正10年(1921)夏まず6名の軽症入院患者にこのビタミン欠乏食をとらしめ、その症状増悪するを知って(そのうち1名は衝心状態に陥り心配するほどであったが、そのため自分は自分のねらいに確信を得た)、ついで秋9〜10月健康者2名、翌11年冬2〜3月同じく健康者1名、都合3名について同様の食餌をもって試食試験を行った。そのうち1名は自分である。試験期間は14〜40日間であった、いずれも普通脚気に見らるる症候を呈するにいたり、そのほか脚気と異なる症候は一つも認められない。(中略)
ついで治療試験を行ない、食餌はそのままとし、慣用のオリザニンを投与することにより短時日にて治癒することを認めた。その後ほぼ同様の実験を2度くり返し、実験的脚気発生と季節との関係、ビタミンB1及びB2との関係を較べた。


まず患者から実験したのです。ちなみに衝心状態とは心不全状態のこと。患者が死にそうになっても「自分のねらいに確信を得た」とポジティブ思考だ。偉いのは、自ら被験者になるということ。■モルモット科学者のリストに載れるぞ。

脚気ビタミン欠乏説だけじゃなく、カビ毒説を支持する人体実験もある。私が調べた限りでは、脚気カビ毒説を検証するためになされた人体実験はこれが唯一。昭和29年(1954年)の衆議院会議録より。当時、カビに汚染された輸入米の安全性が問題になっていた。詳しくは■黄変米(ウィキペディア)を参照のこと。角田広(食糧研究所醗酵化学研究室長)が、「黄変米には毒性がある」という観点から述べたのが以下。


■第019回国会 厚生委員会 第58号


自分も応召して五年半行つているような始末で、その応召中にちよつと南方のハルマヘラに二年半くらいいたのです。そのときに大分きれいな黄変米が着いて、要するにその当時は黄変米というものの研究途上で行きましたので、黄色いのを見れば何でも黄変米だと自分は考えたわけです。これはおもしろい、これをひとつ兵隊に食わして様子を見てやろうというわけで、百トンばかり着きましたから三〇%くらい混入したのです。それを今度は兵隊に食わして、自分も食つてみたところが、自分は一週間くらいで足がだるくなつて、これはすぐやめてしまつた。それから二週間後には病院のベツドが全部脚気患者でふさがつてしまつて衛生兵の方が悲鳴をあげた。それでは全部その米は捨ててくれ、いい米に切りかえるからということで、いい米に切りかえたら全部退院してしまつた。自分は食べてから一週間で足がふくらんで、すぐそれをやめて三日で引きました。その経験から、これはちよつとおもしろそうだということでかかえて帰つて来たわけです。向うでもレポートを持つていたのですが、レポートを持つていてばれた日には人体実験で首がすつ飛ぶから、捨てて帰つて来た。


「これはおもしろい」って、角田先生、正直過ぎ。やはり自分の体で実験しているけど、自分は1週間でやめて、他人に食べさせるのは2週間ひっぱったわけですな。ウィキペディアには、「研究会では、角田や浦口などの努力により極めて短期間に黄変米の高い毒性が解明される事になった。研究会の成果と、世論の強い反発のため黄変米の配給は継続できなくなり、同年[1954年]の10月には黄変米の配給が断念された」とある。浦口健二をはじめとするカビ毒の研究者が、日本人をカビ毒(マイコトキシン)から守ったというのは事実であろう。