NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

あらゆる可能性を考慮した診療・検査は不可能だ

杏林大医学部付属病院における割り箸事件について、医師の無罪が確定した高裁判決を伝えた以下の記事に、「どう見ても医者に過失があると思う」というブックマークコメントをid:nicenikoさんがつけたのが議論の始まり。


■男児割りばし死亡事件、医師の無罪確定へ(朝日)


 東京都杉並区で99年、割りばしがのどに刺さった杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4)が受診後に死亡した事件で、東京高検は2日、業務上過失致死罪に問われた医師根本英樹被告(40)を無罪とした東京高裁判決について上告を断念する方針を決めた。判例違反などの適法な上告理由が見当たらないと判断したとみられる。根本医師の無罪が確定する。
 高裁は11月20日、根本医師に過失はなかったと判断し、一審・東京地裁の無罪判決を支持して検察側の控訴を棄却する判決を言い渡した。


高裁判決では「医師に過失なし」。ちなみに地裁判決では、「過失ありだが死亡との因果関係を否定して無罪」であり、「過失あり」という判断に対しネット上では多くの医師により批判がなされた。「どう見ても医者に過失がある」のであれば、高裁判決や多くの医師は間違っているということになろう。そういうわけで、



NATROM 逃散 「ベッド空いてるのに平然と受け入れ拒否する病院たくさんある」とか言っていた人。割り箸事件については「どう見ても医者に過失があると思う」とのこと。救急医学のプロの人でしょうね。 2008/12/03 *1


NATROM 逃散 id:nicenikoさん。「いい加減な医者が多く探すの苦労した経験」だけでは、割り箸事件に関して「どう見ても医者に過失がある」などとは評価できません。当時の救急医療のレベルについての知識が必要です。 2008/12/08*2


というブクマコメントをつけた。「救急医学のプロの人でしょう」というのは、もちろん皮肉である。いささか無礼だと思われる読者もいるだろうが、以前の経緯を考慮していただきたい。やはりnicenikoさんの「ベッド空いてるのに平然と受け入れ拒否する病院たくさんあるんだし」というブクマコメントに対し、■ベッドが空いてるのに平然と受け入れ拒否する病院はあるのか?というエントリーで、私としては、そのような誤解が生じても仕方がないことを示しつつ、できるかぎり丁寧に現場の実情を伝えたつもりであった。しかし、nicenikoさんからはコメントはなかった。皮肉の一つも言いたくなる。id:You-meさんからも、「貴方が極めてどころか未だに世界唯一の稀な事例について事前に想像力を働かせるのが可能な人なのはわかりました」という趣旨のコメントがついた*3。nicenikoさんからの返答および私とのやりとりは以下。



niceniko id:You-meさん。「刺さったというだけ」だから死に至る万一の可能性を考え事実確認するのは当たり前。「奇跡的な確率」だからこそ調べないと今回の様に死に至る。箸のことは母親が伝えてるし。想像?事実を診なきゃ 2008/12/03*4

niceniko 医療 id:NATROMさん患者にとって事実を診ないのは恐ろしい事。今回の様に出会う全ての医者を信用したら自分も死んでました。時間があれば不測の事態を判断する医者を探すが救急では死を覚悟することになります。 2008/12/09 *5




NATROM 逃散 id:nicenikoさんへ。「患者にとっての事実」って、具体的に何ですか?あらゆる可能性を考慮した診療・検査は不可能です。標準レベルの医療を提供しても、稀な疾患を見落すと過失とされれば、医療はできません。 2008/12/09*6




niceniko id:NATROMさん「患者にとっての事実…」→「患者にとって事実…」です。意味が大分違います。「あらゆる可能性を考慮した診療・検査は不可能」確かにこういう医者多いですね。それが重大なミスに繋る可能性を配慮もせず 2008/12/11*7



この辺でメタメタメタブクマくらいか。ブックマークコメントは書き換え自由であり、閲覧性に劣るため、はてな日記に議論の場を移すのをお許し願いたい。「出会う全ての医者を信用したら自分も死んでました」「こっちはいい加減な医者が多く探すの苦労した経験から言ってる」という発言から、nicenikoさんが何か医療不信に陥るような経験をされたであろうと想像される。nicenikoさんが受けた医療に落ち度はあったかもしれないし、なかったかもしれないが、いずれにしろ、そのような経験をされた患者さんが少なからず存在するというのは事実である。それはそれで解決するべき問題であろう。

しかしながら、特定の医療行為に関して、過失があったかなかったかを判断するのに、「いい加減な医者が多く探すの苦労した経験」は役に立たない。仮にいい加減な医者が多いとしても、杏林大医学部付属病院の医師がいい加減だったかどうかはわからない。nicenikoさんの主張の根拠はもう一つあって、「奇跡的な確率であったとしても(奇跡的な確率だからこそ)、死に至る万一の可能性を考え事実確認せよ」というものである。「割り箸が脳に刺さった可能性を考え、CTもしくはMRIを撮って確認するべきだった」という主張だと解釈するが、それでよいか?

とりあえずそういう解釈だとして、問題点は、奇跡的な確率まで含めると、「死に至る万一の可能性」のある疾患は無数にあることだ。よって、頭部CTもしくはMRIのみならず、あらゆる検査を行なうべきであると、nicenikoさんは主張していることになる。「CTを撮れば割り箸が脳に刺さったのがわかったかもしれないのに」と我々が思うのは、我々が既に割り箸が脳に刺さったことを後出しジャンケンで知っているからである。割り箸が脳に刺さった可能性を考えるべきだというのなら、髄膜炎や心筋炎やその他の疾患の可能性も考えるべきである。

実際の診療はそのようなものではない。そのとき手に入る情報から、可能性や重要性が高い疾患をまず考え、コストが安く侵襲性の低い検査から開始する。稀な疾患は見落とすことがあるが、これはミスではない。大事なことなので二度言う。あなたが稀な疾患にかかれば、見落とされて命を落とす可能性がある。しかし、それはミスではない。医師には技量の差がある。他の医師ならとうてい見落とすことのない疾患を見落とされたのであれば、それはミスである。しかし、名医が診れば見落とさない疾患を標準的な医師が見落とし、そのせいであなたが死んだとして、それはミスではない。

遺族が見落とした医師を批判するのは仕方ない。しかし、標準的な医療を行なっても、たまたま結果が悪かったとき、最高の医療を受けていれば助かったはずだからと、刑事罰を受けるようになれば、医師は医療ができない。割り箸事件における、「医師に過失はなかった」という高裁の判断は正しいと私は考える。当時、患児を診て、割り箸が脳に刺さったことを思いつける医師がどれほどいただろうか。