NATROMのブログ

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大学病院の看護師が静脈注射をしない理由

大学病院に舞い戻った。研修医のとき以来だから10年ぶりぐらい。給料が安いとは聞いていたが、今の研修医と同じくらいであった。しかしながらどういうわけだか帳簿上では私の週の労働時間は32時間になっているので、時給換算では私のほうが高給である。やったー勝ったー。もちろん、実働時間が32時間で終わるわけがないが、時間外手当をつけても雀の涙であるから面倒くさくていちいちつけなくなる。幸い、別にアルバイトもあるから合計の収入ではそれほど下がらなかった。

大学病院では経営は効率的で、くだらない雑用は一番給与の安い者がすることになっている。たとえば時間外に薬剤部に薬を取りに行ったり、検査室に検体を持って行ったりする仕事は医師が行う。夜間にも医師は必ずいるのに、たまに必要になる雑用のためだけに看護助手さんを待機させておくのは無駄ではないか。看護師は病床あたりの配置人数が決まっており雑用ばかりしていられないし。それにしても、私のようなヒラの医局員ならともかく、医局のNo3の(助教授の次に偉い)先生が検体を検査室に持って行くところを見たら、大学医局に残って上を目指そうなどという気にはまったくならないな。

私が研修医のころは、こうした雑用は研修医が行なっていた。時間外手当という概念はなかった。宿直でなくても皆遅くまで残っていた。現在の研修医は、5時になると帰る者もいると話には聞くが、当科の研修医は遅くまで残って頑張っている。しかしながら数が足りない。私のころは研修医は10人以上いたが現在は数人である。彼らに雑用を押し付けると潰れてしまう。

大学病院には不思議な慣習が残っていて、たとえば点滴のルート確保は医師が行う。研修医が行なうのならまだ理解できないでもない。トレーニングになるからだ。しかし、夜間に点滴が詰まったからという理由で宿直の医師をわざわざ起こすというのは理解できない。採血も基本的に医師が行うことになっている。市中病院ではどちらも看護師の仕事である。まあ百歩譲って、リスク回避もしくは手技の未熟により「針を刺せない」とのは認めるとしよう。しかしながら、当大学病院では、既に点滴ルートが入っている患者さんに静脈注射を行うのも基本的には医師の仕事なのである。三方活栓から簡単に静脈注射は可能であり、特別な技術は不要なのに。

技術の問題ではないことは確かだ。なぜなら、薬の種類によっては静脈注射をしてくれるからである。肝保護剤の強力ネオミノファーゲンCは看護師が静脈注射していいことになっている。しかし、利尿剤のラシックスや、吐き気止めのプリンペランはダメである。抗癌剤やインターフェロン等の、副作用の強いあるいは高価な薬がダメというのならばともかく、ラシックスやプリンペランがダメというのが理解できない。聞くところによると、どれがOKでどれがNGであるか、細かく規定があるそうな。ラシックスやプリンペランは臨時で使うことがあるので、看護師が静脈注射をしてくれないとたいへんに困る。たとえば、真夜中に患者さんに吐き気が出た場合、「嘔気・嘔吐時プリンペラン1A静注」と指示を出しておけば市中病院では看護師が注射をしてくれるのに対し、大学病院では当直医がわざわざ静脈注射をするためだけに起こされる。

しかし、不思議なことに、点滴で入れる分には看護師が施行可能なのだ。プリンペランの静脈注射は看護師はしない。しかし、プリンペランを混ぜた点滴はする。よって、下のような指示が出されることになる。


嘔気・嘔吐時、生食50ccにプリンペラン1Aを混注して側管より全開点滴

私が研修医のころはこうした習慣はなかった。規則の隙間をついて誰か頭のいい医師が考えついたのであろう。看護師のほうも、生食にプリンペランを混注したりルートを用意したりする手間が余計にかかる。もちろんコストもかかるし、患者さんにとっても50ccとは言え余分な水分負荷がかかる。ワンショットの静脈注射も50cc全開点滴も安全性ではほとんど変わらない。いい事何一つなし。とっととラシックスやプリンペランも看護師が静脈注射していいことにすればいいのに。

写真は生食50ccにプリンペランおよびラシックスのアンプルが準備されているところ。これを見たとき、看護師が静脈注射しない理由は、患者さんの安全のためでもなく、自分たちが楽をしたいわけでもなく、規則に縛られているだけだと気付いた。イスラム教徒が豚を食べない、ユダヤ教徒が安息日に電灯のスイッチを押さないのと似ていると思った。そういや、強力ネオミノファーゲンCがOK、ラシックスやプリンペランがNGといった規定は、アルブミン製剤はOK、貯血式自己血輸血はNGといったエホバの証人が受け入れられる血液製剤の細かい規定と似ているなあ。