NATROMのブログ

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種を守る「利他的な遺伝子」

自分のよく知らない分野(たとえば私にとっては経済学)について二者が議論しているとして、どちらの言い分が正しそうなのか判別する簡易的な手段はあるだろうか。私がよくやるのが、自分がよく知っている分野(たとえば私にとっては医学、遺伝学、進化生物学)についての発言を調べてみるということである。もちろん、医学についてトンデモ発言する人が別の分野では正確な発言をすることもありうるので、あくまでも簡易的な手段に過ぎない。しかし、たとえば「エイズはエイズ菌によって起こる」などと自信たっぷりに断言する人が別の分野について何か発言したとしても、その発言の正確性を疑っておくほうが賢い態度だと言えるだろう。

ブログが流行っているため、過去の発言を検証するのが容易になった。そこで、「進化」とか「遺伝」とかいうキーワードでよく検索する。最近発見したのは、これ。


■愛国心の進化(池田信夫 blog)


 近代国家が成功したのは、それが戦争機械として強力だったからである。ローマ帝国や都市国家の軍事力は傭兵だったため、金銭しだいで簡単に寝返り、戦力としては当てにならなかった。それに対して、近代国家では国民を徴兵制度によって大量に動員する。これが成功するには兵士は、金銭的な動機ではなく、国のために命を捨てるという利他的な動機で戦わなければならない。逆にいうと、このような愛国心を作り出すことに成功した国家が戦争に勝ち残るのである。
 こういう利他的な行動を遺伝子レベルで説明するのが、群淘汰(正確にいうと多レベル淘汰)の理論である。通常の進化論では、淘汰圧は個体レベルのみで働くと考えるが、実際には群レベルでも働く。動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る「利他的な遺伝子」によるものと考えられる。ただし、こういう遺伝子は、個体レベルでは利己的な遺伝子に勝てないので、それが機能するのは、対外的な競争が激しく、群内の個体の相互依存関係が強い場合である。内輪もめを続けていると、群全体が滅亡してしまうからだ。利他的行動は戦争と共進化するのである。

まずは分かりやすいところから。「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る『利他的な遺伝子』によるものと考えられる」。えっと、全然違います。この文章だけで、池田信夫氏が現在の進化生物学を理解していないことがよくわかる。母親が自分を犠牲にして子を守る行動は、利己的な遺伝子によるものと考えられる。もちろん、命を捨てて子供を守る行動は利他的な行動だ。個体としては自分の生存率を下げる一方で、他の個体(子)の生存率を上げようとしているのだから。そういう利他的な行動は利己的な遺伝子によって説明できるってことを「利己的な遺伝子」でドーキンスは主張した。

そもそも「個体を犠牲にして種を守る」って何?いまどき種淘汰か。母親は自分と遺伝子を共有する個体を守っているのであって、種や個体群を守ろうとしているのではない。少なくとも通常の進化生物学ではそのように考える。限定された条件下では群淘汰が起こりうるという話はあるが、かような豪快な誤りを犯す人がそういう微妙な話を理解できるとは思えない。少なくとも母親が子を守る行動は普通に利己的な遺伝子で説明できる(というか、利己的な遺伝子の説明として典型的な)話だ。種を守る『利他的な遺伝子』なんぞを持ち出す進化生物学者はいない。

愛国心についても、いったいなんでまた遺伝子レベルで説明をつけたがるのか理解できない。こうした傾向は池田氏だけに見られるわけでもないところを見ると(参考:■愛国心の遺伝子)、何か理由があるのだろうか。よしんば愛国心を遺伝子レベルで説明するとして、群淘汰(多レベル淘汰)などよりも、集団が比較的小さくメンバーが血縁関係にあったころに進化した、集団に対する帰属意識のためとでもするほうがありそうだ。群淘汰が働くにはフリーライダーが利益を得られないような、(私の理解では)かなり厳しい条件が必要であるからだ。いずれにせよ、利己的な遺伝子からして理解がおぼつかないのに、群淘汰による愛国心を説明するのは心もとない。進化生物学の分野でこんなふうだと、他の分野は大丈夫なのか心配になる。池田流「進化生物学」で変なこと言っているように、別の分野についても変なことを言っているのかもしれない。



そのほか気になったところ。


■人類史のなかの定住革命のコメント欄


利他的な行動が遺伝的なものか文化的なものかについては、古くから論争がありますが、たぶん両方というのが妥当な答でしょう。ただ、どっちの比重が大きいかについては、諸説あります。
ほとんどが遺伝によるものだと考えるのが、E.O.ウィルソンに代表される「社会生物学」の立場です。コンラート・ローレンツなどの動物行動学も、攻撃性を抑制することが種の存続にとって重要であることを示しています。本書の著者も、ピグミー・チンパンジーなど類人猿に「公平な分配」が広く見られることを示しています。

最初の段落は何ら問題はない。問題は次の「ほとんどが遺伝によるものだと考えるのが、E.O.ウィルソンに代表される『社会生物学』の立場です」。って、えー、そーなのー?社会生物学者が遺伝的な影響を大目に見積もりがちってことはもしかしたらあるかもしれないが、「利他的な行動はほとんどが遺伝によるものだと考える」ってのは別に社会生物学の立場ではないだろ。「多くの病気は環境要因と遺伝要因とが組み合わさって起こりますが、ほとんどが遺伝要因によるものだと考えるのが『遺伝学』の立場です」ってのと同じくらい阿呆な発言だぞ。