NATROMのブログ

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祖先の物語

ふー、やっと読み終えた。ドーキンスの新刊。


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上下巻で900ページ超。読み応えありまくり。しかも高い。素人にはお勧めできない。内容は、タイトルにもあるように、ヒトの(そして他のあらゆる生物の)祖先の話。だったら、これまでも似たような語はある。ただ、たいてい、生命の起源からはじまって、単細胞生物、多細胞生物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、人類といった順番で語られている。私が小学生のころNHKで見た、デイビット・アッテンボローによるイギリスBBC製作の「地球に生きる」という番組では、全13回で第1話が生命の起源の話で、第6話が両生類、第7話が爬虫類、第8話が鳥類、第9話以降はほぼ哺乳類の話で、第13話が人類の話であった*1

時系列に沿って話を進めるのはわかりやすいが*2、進化についてありがちな誤解、すなわち、人類が進化のゴールであり進化の梯子の頂点に立っているという誤解を招きやすい。アッテンボローが人類を最終回に持ってきたのは、我々がたまたま人類だったからであって、人類が一番進化しているからではない。(ウミイグアナのアッテンボローが番組を作ったのなら、哺乳類は1話でまとめて、爬虫類にはたっぷり5話ぐらいをあて、最終回はウミイグアナとリクイグアナのみを論じたであろう。)こうした進化についてありがちな誤解を招かないよう、ドーキンスはどのような方法を採用したか。


私たちが想像のなかで、絶えて久しいどこかの時代をさまようとき、その太古の景観のなかにいるありきたりとしか見えない種のうちで、私たちの祖先はどれかということに特別な熱意と好奇心をもつのは(つねにそういった種が一つは存在するというのは、あまりなじみのないものだが、とても興味深い考えである)、人間的に自然なことである。この一つの種が進化の「本線上」、つまり主役の座にあり、他のものは脇役、端役、一場面だけしか見せ場のない俳優であると考えたい人間の誘惑を否定するのはむずかしい。しかし、その誤りに屈することなしに、歴史的な礼儀を尊重しつつ、公明正大に人間を中心にすえる方法が一つある。その方法とは、私たちの歴史を後ろ向きにさかのぼることであり、それが本書の方法である。(P16)

系統樹を枝の先端から根元に向かってたどっていくのだ。ヒトから始まり、ボノボとチンパンジーと合流(ドーキンスは「ランデブー」と呼ぶ)し、ゴリラと合流し、オランウータンと合流し、テナガザル類と合流し…という具合である。無論、ヒトから始めるのは我々がたまたまヒトだったからであって、ウミイグアナのドーキンスは同じ本をウミイグアナから始まるように書くことができる*3。しかし、ドーキンスの方法のほうが「ヒトは進化の頂点である」という誤解を招きにくいのは確かだ。

ドーキンスと並んで、進化について一般向けの著作で知られるグールドも、「ヒトは進化の頂点である」という誤解を解くために尽力した。よく両者は比較されるが、傾向として、歴史の話はグールドのほうが得意であり、ドーキンスはより一般化された話を好んだ。たとえば、「利己的な遺伝子」の中心的なメッセージは、そっくりそのまま他の惑星で進化した生物にもあてはまる。「利己的な遺伝子」でも地球上の生物について述べられているが、説明のための例に過ぎない。「祖先の物語」でも、収斂や系統学、性淘汰の話をしているものの、基本的には地球上の生物の歴史の話である。グールドが亡くなったことが影響しているのか、ドーキンスが歳を取ったのか、それともたまにはこういう本を書きたかったのか、それは分からない。いずれにせよ、これまでのドーキンスとは一味違った著作である。


*1:http://www18.ocn.ne.jp/~raptors/attenborough/life-on-earth/life-on-earth.htmlを参考にした

*2:厳密には時系列にも沿っていないけど

*3:ウミイグアナとヒトの共通祖先以降は、本の内容は同じになる