NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

ひどい内容のブログ

愛育病院での鉗子分娩の死亡事故に関連して、医師のブログを批判したブログがあった。黒川滋氏による、■きょうも歩くというブログである。


■医師たちのブログの内容に絶句


それを辿っていくと、リンクのリンクぐらいであたる医師のブログの内容がひどいことに驚きます。事故が起きて世論が過敏に反応するものだから訴訟大国になって医療は崩壊する、と一見まともなことをおっしゃっています。そうしたコメントをよく読むと同業者のことばかり考えていて、自分たちの秩序世界だけしか考えていなくて、患者やその家族の納得性や、医療の満足度といったことが全く顧みられていません。パロマや雪印の論理と一緒です。マスコミが騒ぐな、とは一体どういうことなのでしょうか。オレ様医師たちの秩序を壊すような人に、裁判を受ける権利や知る権利など与えてはいけない、という議論に見えます。

仮に自分たちの秩序世界だけしか考えていない、「オレ様医師たちの秩序を壊すような人に、裁判を受ける権利や知る権利など与えてはいけない」というような議論を行う医師のブログがあるとしたら、とんでもないことだ。医師にもいろいろいるし、中には医師を自称しているケースもあるだろうから、絶対に無いとは言えない。黒川氏はどのブログか明示していないが、そんな奴は医師の風上にもおけないので、ぜひ、そんなブログは名指しで批判してもらいたい。

私の知る限りでは、医師を名乗って愛育病院での鉗子分娩の死亡事故に触れているブログで、それほど酷いと思ったものはなかった。たとえば、■医療の滅び(新小児科医のつぶやき)では、事実関係が詳しくわからないので医療ミスなのかどうかについては判断を保留しつつ、一般論として


医者のほうは恐怖に震え上がります。難産というのはある一定の頻度で必ず発生します。産科医は経験と技術のすべてを尽くしてそれに立ち向かいます。大多数は産科医の努力により無事出産のハッピー・エンドを迎えます。しかし大多数であってすべてではありません。どんなに手を尽くしても不幸な結果に到るケースはゼロにはできないのです。
不幸な結末を後から検証すれば、これは医学ですから、あの時点でAと言う選択ではなく、Bと言う選択をすれば「ひょっとして」結果は違ったのではないかという事は必ず出てきます。ただしBの選択をしたと言って「絶対」に成功したかとは憶測に過ぎません。治療法を選択した時点ではAもBもどちらも選択の余地があり、主治医の決断でAの方がベターと選択したわけです。ところがその後の経過が結果として思わしくない方に進行し、Aの選択はベターではなく、Bの選択のほうが良かったかも知れないと言う事なんて医学ではいくらでもあります。

と述べている。産科医に限らず、臨床医であれば、誰でも納得できることだ。平均レベルの知性の持ち主であれば医師でなくても容易に理解できるものと思う。もしかしたら、ちと理解力の足りない方であれば、「他の社会では通用しないような言説」などと思うかもしれない。



それでも結果としての不幸な結末は罪に問われるという事です。今回は事件が発生した翌日には警察が動いています。これの意味する事は医者にはどんな状況であっても絶対に判断のミスが、結果的であっても許されない事を意味します。これを読んで震え上がらない医師がどれほどいるでしょうか。私も震えています。
このような恐怖が何をもたらすかです。医療なんてするから罪に問われるという短絡的な結論です。軽めの反応として「やばい」症例には絶対手を出さない防衛医療、萎縮医療に雪崩を打って向かいます。中ぐらいの反応として医者なんてリスクが高い商売はやめるという事になります。重い反応として、そんな逮捕と隣り合わせの危険な商売である医者になんてならないという事につながります。
医療は滅びますね。

「同業者のことばかり考えている」と正反対だ。防衛医療、萎縮医療によって困るのはいったい誰か。同業者であるところの医師ではない。患者さんである。自己の利益のみを考えるのなら、ブログで医療崩壊に警鐘を鳴らしたりせず、逃散して楽な非常勤医になるか、小児科なんて診ず自由診療で点滴バーでも経営する。医療者の労働条件を改善することは、医療を受ける人の利益にもなる。別の分野でもそうだろう。たとえば、「タクシー運転手の労働条件が劣悪だ。このままでは事故が増える。労働条件を改善せよ」などという提案を、「同業者のことばかり考えている」と受け取るのは非常に愚かなことである。

「患者やその家族の納得性や、医療の満足度といったことが全く顧みられていない」ことを黒川氏は批判していたが、少なくとも「新小児科医のつぶやき」にはその批判は当てはまらない。なぜなら、「新小児科医のつぶやき」では、過失が無くても結果が悪ければ刑事責任を問われることを問題にしているからだ。民事ならともかく、「患者やその家族の納得性」は刑事責任とは、本来関係ない。

「納得性」に付け加えるならば、結果が悪いとき、どのような説明でも納得しない患者および家族はいる。「遺族は医師や医療機関に説明を求めたが、まともな説明はなかった」と主張される場合でも、実際に説明が不足であったのか、あるいは医学的にまともな説明がなされたのにも関わらず遺族が納得できなかったのか、判別は不能である*1。なお、よほど訴訟リスクに鈍感な医師でもなければ、普通は医師は遺族への説明は行なうものだ。

*1:ひどい場合には自分は死亡には立ち合わず、また聞きで納得できないものだから「十分な説明はなかった」などと憤るケースもある