NATROMのブログ

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昆虫食がゲテモノ扱いされるのはなぜだろう?


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前回のエントリーではカブトムシを捕まえたというほのぼのとした話題を扱ったのに、コメント欄ではいつの間にか虫を食べる話題になってしまっていた。ずいぶん以前に読んだ、■昆虫食はいかが? (ヴィンセント・M. ホールト著)を思い出した。「19世紀末に書かれ、マニアの間で渇望されていた幻の奇書」「究極のグルメ本」などとアマゾンには書かれていたが、奇書というよりも、自分の好きなものを勧めている本であると私には思われた。著者は、好んでゲテモノを食べているわけではなく、美味しい食材がそこらにいるから普通に食べているだけ。「害虫駆除と食材ゲット同時にできてウマー(゚д゚)。中華料理とかのほうがよほどゲテモノじゃん。おまいらなんで昆虫食べないの?」という感じだ。昆虫食に対する愛があふれている本だ。

この本を読む限りでは、19世紀末のヨーロッパではすでに昆虫食は一般的なものではなくなっていたようだ。日本でも、後述するように昔は結構食べられていたが、現在はあまり昆虫は食べない。イナゴやハチノコは食べる機会があるものの、ゲテモノ食に分類されるであろう。普通にセミを食卓に乗せている一般家庭はほとんどないものと思われる。

しかし、ホールトが言うように、昆虫食を極端に嫌うのは合理的な態度ではない。きちんと料理されたゴキブリの揚げ物と、ちょっと古くなった魚の刺身では、後者のほうが圧倒的に健康を害する可能性が高い。しかし、平均的な日本人は、どちらかを食べろと言われると後者を選ぶであろう。私もそうだ。しかし、これは偏見である。■昆虫料理を楽しむというブログでは以下のように書かれている。


今では昆虫食というととかくゲテモノ扱いされます。でも少し歴史をさかのぼれば人類は虫を日常食として生き延びてきました。
(中略)
本サイトはそんな楽しい活動の内容を紹介し、さまざまなおすすめメニューを掲載しています。昆虫料理のデータベースとして少なくとも国内では類例がないと自負しています。これを読めばみなさんも虫に対する偏見から解放されて、食べてみたくなること請け合いです。

かつては日常食だったのに、いつのまにかゲテモノ扱いされるようになった。なぜか。答えを考える価値のある疑問だと思う。ちなみに、正直なところを言うと、上記ブログを読んでも私は虫を食べてみたくはならなかった。偏見のなんと強固なことか。

進化論と創造論の掲示板で昆虫食といえばトトロさんであるが、「日本には中国のように昆虫を食べる文化はない。日本の進化する民族性に偉大な意義がある。」という右翼思想をお持ちの方の主張への反論から引用する


昆虫食の文化は、今でこそ長野県などで一部に残っているだけですが、イナゴなどは全国的に食べられていました。昆虫食は食材の量を集めるのが大変であるために徐々に廃れていったと考えています。イナゴなどは稲の害虫として駆除するために比較的容易に集めることができたので広く食されていました。大阪でも戦後、暫くはイナゴが食べられています。
野生動物は広く食べられていました。野兎、野鳥、狸、狐の類、イタチ類まで採取できるものは全て食べられていたのです。
貴方が知っている文化は戦後の数十年に限定されているのでは?

「量を集めるのが困難であるがゆえに昆虫食は廃れた」という意見であり、これは正しいと私は思う。ただ、昆虫食が廃れた理由にはなっても嫌悪される理由にはならないだろう。たとえば、現在の日本では山菜を日常的に食す習慣はないけれども、嫌悪されるどころか、食材の量を集めるのが困難なゆえに貴重なものとされている。虫とエライ扱いが違う。フキノトウが珍重される程度にはセミの幼虫が珍重されてもよいのではないか。ムカデなどの有害昆虫に対する嫌悪は進化進化心理学的にある程度説明がつくだろうが、昆虫食への嫌悪は、有害昆虫に対する嫌悪の対象が広がったのだろうか。それとも、遺伝的なものは無関係で、純粋に文化的なものなのだろうか。タコを日本人は平気で食べるが外国人の一部は嫌悪する。「こんなに美味しいのを知らないの?」と日本人は思うが、昆虫食もそれと同じなのか。