NATROMのブログ

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インフォームドコンセントのコスト

数年前のことである。あるメーリングリストに入っていたのであるが、その参加者の1人が、医師批判の投稿をした。詳細は変更してあるが、概ね以下のようなものだ。


身内が癌になり、余命数ヵ月と診断された。あちこちの病院にまわったが、どの医師も「治らない」「ホスピスを探してください」と口を揃えて言う。「エビデンス」がある治療法がないなら、「死ね」というのが今の医者だ。最後まであきらめず努力をするという姿勢がない。だから、患者は自ら治療法を探して、詐欺まがいのインチキ代替療法に引っかかるのだ。

詳しく病状を聞くに、どの医師も「ホスピスを探せ」と言うのももっともな病状である。「言い方がまずい」という批判ならともかく、セカンドオピニオン外来で、患者本人でなくキーパーソンの家族に、明確に予後と治療方針を言わない方が無責任だ。「最悪の転帰をたどる可能性があります」などと曖昧な説明していたら、「最悪の可能性とは聞いたが、死ぬとは聞いていないぞ!」などと後から文句を言われることもある時代だ。治らないときは「治らない」、もっとも良い治療方針が緩和ケアのときは「ホスピスを探せ」と明確に言うのが、臨床医の責任である。

といったことを指摘したが、当然のように、かの参加者は納得しない。緩和ケアを勧めるのは「治療をあきらめた」ことになり、ダメもとで、エビデンスのない治療法の選択肢を示すのが、「ベストを尽くす」医師なのだそうだ。緩和ケアだって治療だし、それにエビデンスのない治療法とか言い始めたら山のようにあるよ?という反論をしようかとも思ったけど、メーリングリストの趣旨と離れてきたのでやめた。

自由診療であれば、エビデンスのない治療法を行ってくれる病院はある。その参加者が最終的に選んだのが、「末期がん患者が数百人と入院したが死亡したのは5人だけ」という病院の勧める治療法と、「進行癌の60%が自然退縮した」という治療法であった。選択肢の一つとしてかような治療法があるのはいいだろう。ただし、そのような治療法を一般病院で行ってくれないという批判は的外れである。

標準的医療を提供する側は、治らないときは「治らない」と、合併症については頻度の低いものについても説明する義務を負う。インチキな代替医療を提供する側は、多くの場合、そうした義務からは自由である。勝負にならない。難治性疾患の患者がある程度、代替医療に流れてしまうのは仕方がない。これは、インフォームド・コンセントのコストである。インフォームド・コンセント(説明と同意)、インフォームド・チョイス(説明を受けた上での選択)には、大きな利点もあるが、欠点もある。どの医療を受けるか患者自身が選択する権利があるというのは当然のことである。しかし、「患者が正しく選択できるとは限らない」と思うのは、医療者の傲慢であろうか。唯一の正解の選択肢がない場合は患者が選択できるというのは大きな利点である。しかし、明らかに間違った選択肢というものもあるのだ。