NATROMのブログ

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ヒトは特別か

進化論を否定する動機の一つに、ヒトという種を特別視したいというものがある。なにせ、創世記によれば、神は人を自分に似せて造り、すべての生き物を人に支配させた、とある。我々人間は他の生物とは違うのだ、神からすべての生き物を支配する権限を与えられたのだ、というわけ。チンパンジーとヒトが似ているなんてとんでもない、そこには大きな断絶があると考える。

ヒトの進化の系列の化石は多数発見されているが、創造論者はそれらの化石を、「人間」と「それ以外」に分類する必要に迫られる。ネアンデルタール人は人間(「服を着て地下鉄に乗っていれば誰も気付かない」という話がしばしば出る)、アウストラロピテクスはサル、という具合だ。ホモ・エレクトゥスになると、微妙である。「テナガザルの骨だった」と言う創造論者もいれば、「まごうかたなき人間である」と言う創造論者もいる。ホモ・エレクトゥスが中間型としての特徴を持っているからこそ、創造論者の間でも意見が分かれるのだ。

創造論者が、進化論の自然科学上の妥当性を問題にしているのではなく、本当はヒトという種の特別性を確認したいだけというのは、ヒトから遠い種ほど扱いがずさんになることからもわかる。創造論者も、神が定めた範囲内での種の変化は認めている。チワワやセントバーナードに変化することもあるが、イヌはイヌのままであるという奴だ。問題は、「神が定めた範囲内」というのが、きわめて人間中心主義的であることだ。特に、数千年前に世界規模の洪水(ノアの洪水)が起こったと信じている若い地球の創造論者は顕著である。聖書に記載されている箱舟の大きさだと地球上のすべての種を積み込むことはできない。そのため、「基本的な種」だけ箱舟に乗せられ、現在の多様な種は「神が定めた範囲内」での変異だと彼らは主張する。その「基本的な種」は人間に近づくほど細分化される。「現在のすべてのカエルは基本的なカエルから生じた」などと主張する一方で、ヒトはヒト、チンパンジーはチンパンジー、ゴリラはゴリラとして創造されたと考える。

日本でインテリジェントデザイン論(ID論)を薦めている人たちも、ヒトを特別な種だとみなしている。たとえば、「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている(出雲井晶)」という発言は、人間だけが道徳を理解できる特別な種であるという前提から出ていると思われる。道徳心と似たようなものだが、自由意志の有無を根拠に、「人間と他の生物の間に大きな断絶が存在する、よってダーウィン的な進化論は誤りだ」という主張もしばしばなされる。

実際のところ、自由意思とはあるかないかの二者択一の問題ではなく、程度の問題である。チンパンジーやゴリラにまったく自由意志がないと言えようか。よしんばチンパンジーに自由意志を認めない人であっても、ヒトの受精卵が自由意志を持つとは主張できまい。人が自由意志を持つとしても、発生学的な成長に伴って次第に連続的に自由意志を持つようになるのであって、ある日突然自由意志を得るわけではない。むろん、ヒトの受精卵は「霊性」や「魂」を持つとかいう主張もあるだろうが、それは信仰であり、自然科学の扱う領域ではない。

ヒトは進化の頂点に位置するがゆえに特別であると考えている進化論者もいるが、その人は進化生物学を正しく理解していないのだ。チンパンジーよりヒトのほうが「進化している」ということはない。どちらも、共通祖先から同じだけの距離に位置している。ローレンツは、■なぜそんな嘴なのか ((これもいつの間にか文庫になっていた。内容は資料的なもので読んでてすごく面白いわけではないが、ローレンツ自筆のスケッチは萌え。)) で、ヒトが自分たちが思いたがっているほど特別な存在ではないことを、愉快なたとえで書いている。


私たち人間が脳で達成することをカイツブリ類は本当に尾腺でやってのけますよ!私たち自身は脳を重視する生き物ですから、脳を使った業績を好みますが、カイツブリだったらたぶんつぎのように書くでしょう。―「ホモ・サピエンスは脳を異常に発達させたことで袋小路にはまり、にっちもさっちもいかなくなり、そのために唯一の正しい道(尾腺の発達)を見失ってしまった」と。

カイツブリの創造論者はきっと、「カイツブリは他の鳥類とは異なった特別な種である」「基本的なサルからチンパンジー、ヒト、ゴリラが生じた」と書くだろう。