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自由は進化する


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■自由は進化する ダニエル・C・デネット (著), 山形 浩生 (翻訳)

ダーウィン進化論に反対する人たちの言い分の中に、ダーウィン進化論は道徳を破壊する、というものがある。ヒトが神に似せて造られた創造物ではなく、突然変異と自然選択によって進化してきたチンパンジーのいとこに過ぎないのなら、人間が道徳的であるべき理由がなくなってしまう、というわけだ。こういう意見は別にキリスト教原理主義者だけに見られるものではない。

「少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化すること」を認めていても、人間だけは他の生物と違って特別であり、善悪を判断する「魂」を持っているのだ、と考えているような人たちも、ダーウィン進化論に懐疑的であったりする。我々の母親の母親の母親の…とずっと祖先をさかのぼっていくと、いずれはチンパンジーとの共通祖先に行き着く。そのような「サル」が道徳的であったわけがないし、突然変異と自然選択で道徳的な心を獲得できるわけがない。よって、ダーウィン進化論はどこか間違っているはずだ。サルと人間を分ける「何か」、人間には突然変異では獲得できない「魂」があるはずなのだ。

進化生物学者は、そうした懐疑的な意見についてあまり反論したりはしない。道徳を破壊しようとしまいと、科学的な証拠があるのならダーウィン進化論は科学的に正しいのだ。こういうのは自然科学者の仕事ではなく、哲学者の仕事である。哲学者にもいろいろいるだろう。だが、まともな判断力を持った哲学者であれば、ダーウィン進化論をほぼ正しいとみなしてよいだけの科学的仮説であることが理解できるがゆえに、ダーウィン進化論を基礎においてこうした問題について議論できるであろう。そこで、ダニエル・C・デネットである。

デネットは、非物質的で霊的な「魂」の存在を否定する。ヒトの脳はほかのあらゆるものと同じく、物理法則に従って働く。だがこのことは、自由意思や道徳を破壊するものではないと論じる。この本は自由意思についての本だけど、道徳についての本でもある。だって、ある人が自由意志を持っていなければ、いったいどうやって道徳的でいられるのか?その気になれば盗んだり殺したりできるのに、あえてしないというのが道徳なのだ。「精神病」が犯罪を犯させた人は、非道徳的であったわけではない。他にどうしようもなかったのだ。選択する自由があるからこそ、責任が生じる。

我々は自由意思を持っていて、(その気になれば)道徳的に振舞える。我々の両親もそうだし、祖父母もそうだけど、ずっとずっとさかのぼっていった昔々の遠い祖先はそうではなかった。どこかで突然「自由意思」を持つようになったのではなく、少しずつじんわりと自由が拡大してきたのだ。というようなことをデネットは書いている(私の理解では)。ダーウィン進化論と自由意思・道徳は両立しうるのだ。

長くて難解な本であった。巻末に山形浩生がせっかちな人のための要約を書いているので、読むのが面倒な人はそちらを参照するのがよいだろう。