NATROMのブログ

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「前倒し効果」では継続した罹患率の上昇は説明できない

*書きかけです。どんどん修正・追加していきます*(2015年6月6日)

このエントリーの最終的な目的は、韓国をはじめとした先進諸国での、死亡率の増加を伴わない*1甲状腺がんの罹患率の上昇は、「前倒し効果」では説明できないことを示すことです。

「前倒し効果」とは何か

まずは「前倒し効果」について解説します。無症状なのに検診でがんと診断された人は、「将来、がんが進行して臨床症状が出る人」または「放置しても、死ぬまでに何も症状が出なかったはずの人」のいずれかです。前者の「将来、がんが進行して臨床症状が出る人」を検診で見つけることによる罹患率の上昇を「前倒し効果」*2と、「放置しても、死ぬまでに何も症状が出なかった人」を診断することを「過剰診断」と定義しましょう。

まずはよりよく理解するために、仮想的なモデルで「前倒し効果」を考えてみましょう。安定した人口10万人の国があったとします。この国では"乙"状腺がんの罹患率は100(人/10万人年)です。毎年、100人が症状が出て(発症)、乙状腺がんと診断されるわけです。検診を行わなければずっと罹患率は100で安定しています。




仮想的な乙状腺がん罹患率の年次推移

ある年から、全人口に対して一斉に検診を行いました(12月31日に行うことにしましょう)。この検診は4年先までに発症する乙状腺がんを全部見つけます(国民全員が検診の対象にならない場合や、検診の感度が100%ではない場合は、必要ならばあとから検討しましょう)。この4年間を「潜在期間」と呼ぶことにしましょう*3。過剰診断はありません*4。検診元年のこの国の乙状腺がん罹患率はいくつになりますか?

答えは、500です。通常の5倍です。その内訳は、臨床症状が出現して発見されるのが100、検診陽性(無症状)が400です。4年先までに発症するはずの乙状腺がんを無症状のうちに見つけてしまう分が「前倒し効果」です。




過剰診断がゼロでも「前倒し効果」によって罹患率が上昇する例


「前倒し」効果による罹患率上昇は長続きしない

さて、検診元年には罹患率が5倍になりました。検診2年目には罹患率はどうなるでしょうか。答えは、「検診以前の水準に戻る」です。検診2年目に発症するはずだったがんは検診元年に発見されています。検診3年目、4年目、5年目に発症するはずだったがんも同様です。検診2年目に発見されるがんは、検診6年目に発症するはずだったがんの100を「前倒し」して発見する分のみです。





「前倒し効果」による罹患率上昇は、すぐに元に戻る


「全人口に対して一斉に検診を行うから、罹患率はすぐに元に戻るのだ」という意見もあるかもしれません。それでは仮に、毎年、全人口のうち、無作為に50%の人を選んで検診を行ったらどうなるでしょうか(検診割合0.5)。まず、検診元年の罹患率は300になります。その内訳は発症が100で、2年後、3年後、4年後、5年後に発症する分を「前倒し」して発見するのがそれぞれ50ずつ、100+50+50+50+50=300です。検診2年目はの罹患率はすでに目に見えて減少し、175です。内訳は発症が50、前倒しが25+25+25+50です。検診3年目には罹患率は125になります。最終的には、検診前の罹患率100で平衡に達することもポイントです。





「前倒し効果」による罹患率上昇は、すぐに元に戻る



検診割合0.5というのは非現実的な数字です。0.25と0.1だったらどうなるかを示します。検診割合が下がれば下がるほど、「前倒し効果」による罹患率上昇が緩やかになるのも、ポイントです。





「前倒し効果」による罹患率上昇は、すぐに元に戻る




「前倒し効果」による罹患率上昇は、すぐに元に戻る



いずれにせよ、割と早い段階で平衡に達する(罹患率が検診前の水準に戻る)ことがお分かりでしょうか。このシミュレーションでは感度100%の検査を仮定していますが、感度が低い検査を行っても同じような結果になります。たとえば、感度50%かつ検診割合1の場合と、感度100%かつ検診割合0.5の場合は同じ結果です。また、2年目以降の検診を受ける人は無作為に選ばれると仮定しましたが、順番に検診を受けると仮定した場合でも、若干は異なるものの、やっぱり同じような結果になります。とくに検診割合が低い場合は、無作為に受けても、順番に受けても、大きな違いは生じません。

潜在期間が長くなっても、「前倒し」効果による罹患率上昇は長続きしない

「潜在期間」、つまり検診による発見を「前倒し」できる期間がもっと長かったらどうなるでしょう。潜在期間が短い場合と比較すれば罹患率上昇は長続きしますが、それでも罹患率は元通りになります。「検診割合0.25、潜在期間10年」および「検診割合0.10、潜在期間10年」の場合にどうなるかをお示ししましょう。







罹患率の上昇は一時的で長続きしないことがお分かりでしょうか。「検診割合0.25、潜在期間10年」の場合では、検診1年目は、発症が100、検診で発見される分が0.25×10=250で、合わせて350です。検診1年目は罹患率は3.5倍になります。「検診割合0.10、潜在期間10年」の検診1年目は、発症が100、検診で発見される分が0.10×10=100で、合わせて200です。

潜在期間が20年だったらどうでしょうか。潜在期間が20年ともなりますと、その間にそれなりに死亡者が出ますので「過剰診断はありません」という仮定が怪しくなってきますが、それはともかくとして、「検診割合0.25、潜在期間20年」の場合では、検診1年目は、発症が100、検診で発見される分が0.25×20=500で、合わせて600です。







実際の甲状腺癌の罹患率の推移は?


いずれにせよ、罹患率は元通りになります。「検診割合0.25、潜在期間20年」という仮定ですら、罹患率は6倍にしかならないというのもポイントです。ここで、実際の韓国における甲状腺癌の罹患率の推移を見てみましょう。




N Engl J Med. 2014 Nov 6;371(19):1765-7.
Korea's thyroid-cancer "epidemic"--screening and overdiagnosis.より引用


オレンジ色の太線が韓国における甲状腺癌の罹患率の推移です。2011年には1993年の15倍になっています。ここまでお読みくださった方は、この罹患率の上昇が「前倒し効果」ではとうてい説明できないことがよくご理解できるでしょう。実際、この罹患率の上昇の大半は、生涯症状を起こさない癌を診断してしまったこと、つまり「過剰診断」によります。


過剰診断の量を評価するための論文より

過剰診断がゼロで「前倒し効果」だけでは継続した罹患率の上昇が説明できないことを示したシェーマが、過剰診断の量を評価する方法を論じた論文にありましたので引用します。





http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23732716 より引用


"乙"状腺がんのように極端な仮定ではなく、検診を受けるのは対象集団の一部であるという仮定のため、検診開始年に罹患率が2倍になったりしませんし、検診開始翌年には罹患率が下がったりします。しかし、数年で以前と同じ罹患率に戻ります。Etzioni Rらの主張には異論もありますが*5、ここでは「前倒し効果」による罹患率上昇は持続しない、ということだけ示せれば十分です。

*1:少なくとも罹患率の上昇から期待されるほどには

*2:「狭義のスクリーニング効果」と同じ

*3:早期発見可能前臨床期(DPCP;detectable, preclinical phase)と同じ

*4:人間は他の原因で死ぬため、実際のがん検診では過剰診断がゼロになることはない。気になるなら「無視できるほど過剰診断は少ない」と考えていただきたい

*5:http://www.bmj.com/content/350/bmj.g7773.long