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薬害オンブズパースン会議の「個々の症状ごとに比べても意味がない」という批判の解説

名古屋市がHPVワクチン(いわゆる子宮頸がんワクチン)の接種者と非接種者を対象に行ったアンケート調査において、「社会的影響が大きく、市だけで結論は出せない」として最終報告書では評価を示さなかったことが報じられた。



■子宮頸がんワクチン調査で名古屋市が結論撤回:朝日新聞デジタル


 調査は、ひどく頭が痛い▽簡単な計算ができなくなった▽手や足に力が入らない、といった接種の副反応にみられる24の症状の有無などを尋ねるもの。その結果、接種者に「多い症状」はなかった。一方、接種者に「少ない症状」は、関節やからだが痛む▽杖や車いすが必要になった、など15症状あった。

 これを受け、市は昨年12月、「接種者に有意に多い症状はなかった」との評価を発表したが、薬害監視の民間団体「薬害オンブズパースン会議」が「副反応の症状は複合的で、一人が複数の症状を持っている。個々の症状ごとに接種者と非接種者との有意差を比べても意味がない」と批判していた。



ブックマークコメントで、薬害オンブズパースン会議による批判の意味がよくわからないという意見が散見されたので解説する。別に薬害オンブズパースン会議の肩を持つわけではないが、合理的な批判である(むろん批判に対して合理的な反論も可能である)。

「副反応の症状は複合的で、一人が複数の症状を持っている」という主張の意味するところは、HPVワクチンの被害者とされている患者さんは、単に「計算ができない」「手や足に力が入らない」という症状を単独ではなく、多様な症状を一度に発症しているということだ。

「個々の症状ごとに接種者と非接種者との有意差を比べても意味がない」という主張については、(「有意差を比べる」という表現はおかしいが)おそらく「個々の症状ごとに接種者と非接種者とを比べて有意差検定を行っても意味がない」という意味であろう。

ワクチンによって重篤な副作用が生じているにも関わらず、個々の症状ごとに接種者と非接種者とを比較しても有意差がみられないケースはありうる。極端なケースを例示するのがわかりやすいだろう。ワクチン接種者と非接種者それぞれ100万人ずつを対象に、10の症状について調査した結果、以下のような結果が出たとしよう。「個々の症状ごとに接種者と非接種者とを比べて」も有意差はない。



(説明のための仮想データです)
接種群 非接種群
症状1 10010 10000 有意差なし
症状2 50010 50000 有意差なし
症状3 100010 100000 有意差なし
症状4 5010 5000 有意差なし
症状5 7010 7000 有意差なし
症状6 30010 30000 有意差なし
症状7 200010 200000 有意差なし
症状8 150010 150000 有意差なし
症状9 8010 8000 有意差なし
症状10 300010 300000 有意差なし



しかし、この仮想上のデータにおいて、10の症状をすべて持っている重症者の人数は、接種者で10人、非接種者で0人であった。これは明らかにワクチン接種者に多い。



(説明のための仮想データです)
接種群 非接種群
症状1〜10 10 0 有意差あり



個々の症状ごとに比べても、接種者群に重症者が多いことはわからない。これは説明のための極端なケースを仮想したものであるが、個々の症状がありふれていると、ワクチン接種者に「複数の症状を持っている」患者さんがより多くいたとしても、個々の症状ごとの検定では背景に埋もれてしまって差が見えなくなりうることが伝われば幸いである。

そもそも、名古屋市の調査は7万人強にアンケートを送付し回収できた3万人強が対象であり、たとえば10万人に1人といった稀な副作用については差が検出できない。また、ランダム化されていないので選択バイアスは避けられない。健康に不安がある人ははじめからワクチンを受けない傾向にあるし、健康に問題がなければアンケートに回答しない傾向がある。前者はワクチンの副作用を小さく、後者はワクチンの副作用を大きく見積もる方向に働く。名古屋市の調査では限定的な情報しか得られない。

とはいえ、まったく意味がないわけではない。一般的に、疾患は重症例が少なく、軽症例が多いものである*1。HPVワクチンが複数の症状を呈する「HPVワクチン関連神経免疫異常症候群」といった重篤な疾患を引き起こしているとしたら、単一の症状しか呈さない軽症例(いわば「HPVワクチン関連神経免疫異常症候群・不全型」)が多く潜んでいるのではないか、というのは合理的な推測である。軽症例はわざわざ病院を受診しないので、アンケート調査でないと掘り起こせない可能性がある。

名古屋市の調査は10万人に1人の重篤な副作用は捉えられなくても、1000人に1人の軽症例を捉えることはできたかもしれない。薬害オンブズパースン会議は「個々の症状ごと比べても意味がない」と言っているが、もし個々の症状で有意差が出ていたとしたら、「重大な結果だ。これだけの数の軽症例は、重症例の存在をも示している」とか絶対に言うに決まっている。

名古屋市は結論を出すことを放棄したが、生データを出したので、その気になれば誰でも解析は可能だ。症状の数(症状を3つ以上有する人の割合に差はあるか?)や組み合わせ(症状7と症状12の両方を持つ人の割合に差はあるか?)で有意差検定を行うこともできるだろう。ただ、そうやって試行回数を増やすと、ワクチン接種と症状発生が無関係でも、偶然によって有意差が出てくる可能性が増す。

特に組み合わせの数は膨大になる。たとえば、アンケートで調査された24症状のうち任意の3症状を選ぶ組み合わせの数は(私の計算が正しければ)2024通りである。2024回有意差検定を行って、いくつか有意差が見つかったとして、別のデータセットで再現性を確認しない限り、意味がない。

つまるところ、現状ではHPVワクチンと「HPVワクチン関連神経免疫異常症候群」といった重篤な副作用の間に因果関係があるかどうか、わからない。少なくとも「軽症例がバンバン起きている」ということはなさそうだとは言える。

どうしても副作用が心配であれば、無理にHPVワクチンを打たなくてもよい。日本人の子宮頸がんの生涯罹患率は1%強である。つまり、ワクチンを打たなくても99%弱の人は子宮頸がんにならない。ワクチンとはそういうものである(ついでに言えば、がん検診もそう)。

メリット次第では稀な副作用を許容できるなら、HPVワクチンを打ったほうがいい。HPVワクチンが前がん病変を減らすことは質の高いランダム化比較試験で証明されている。前がん病変を減らすなら子宮頸がんも減らすというのは合理的な推測であるし、子宮頸がん検診を受けるつもりなら前がん病変の減少は円錐切除術などの治療介入を減らすことができる。HPV-DNA併用検診を受けるつもりなら、HPV感染を防ぐことで検診間隔を空けることができる。

HPVワクチンは日本人の子宮頸がんの原因のうち50-70%にあたるタイプのHPV感染を防ぐ。1%の子宮頸がん罹患を0.5%に減らすことができるとすれば、ワクチン接種者の200人に1人が恩恵を受けることになる。ワクチンの効果を半分と見積もっても400人に1人である。一方、重篤な副作用は3万人規模の観察研究でも因果関係が明確にならないぐらい稀である。


*1:「説明のための仮想データ」で示したような重症例のみで軽症例がない疾患は、まったくありえないとはまでは言えないが、あまり一般的ではない