NATROMのブログ

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なぜ「化学物質過敏症」患者に対して包括的な検査が必要なのか

日本学術会議が「例えプラセボとしても、医療関係者がホメオパシーを治療に使用することは認められません」という声明を発表したのが2010年の8月である。ちょうど3年前。さて、例えばの話、日本学術会議なり、日本産婦人科学会なり、なんらかの公的な学術団体が出産についての公式声明を発表し、「出産は助産師や産婦人科医などの専門家の管理下で行われることが望ましい」などと同時に、



「ホメオパシー」を使用する助産師が増えている。


という記述があったとしよう。日本における最近のホメオパシーの問題点についてよく知らない人は、「助産師という資格を持ち、専門性を持った人たちがホメオパシーを使用していることを記述しているということは、この文章はホメオパシーを擁護しているのだ」「ホメオパス(ホメオパシー使用者)を排除するための記述ではなく、むしろ助産師とホメオパスが重なりあっていることを認識してもらうための文章だ」と解釈するかもしれない。しかしながら、3年前からの経過をよく知っていれば、擁護的ではなく良くて中立的であると解釈する。わざわざ「」付きにしているところからから批判的なニュアンスを読みとる人もいるであろう。これは日本語の読解力の問題ではない。日本においてホメオパシーがどのように考えられているのかという、常識に属する問題である。

さて、AMA(米国医師会)を含む複数の学術団体が1994年に出した"Indoor Air Pollution: An Introduction for Health Professionals(室内空気汚染:医療専門職のためのイントロダクション)"という報告書*1において、臨床環境医(Clinical ecologist)に擁護的な記述があると、sivad氏は主張しておられる。臨床環境医とは多発性化学物質過敏症(MCS)の疾患概念を提唱した医学者のことである。sivad氏による1994年報告書のまとめは以下の通り。


■続・NATROM氏はどこで道をあやまったのか〜”allergists and other specialists”とはだれか〜 - 赤の女王とお茶を


1.化学物質過敏症の訴えや疑いがあるなら心因性とせず、包括的な検査を行うべきである
2.患者に生理学的問題がないことを確認したら、アレルギー医やその他の専門家の診察を受けさせることも考えるべき
3.臨床環境医学は主流な専門領域としては認識されていないが、専門家にも注目され、臨床環境医学会にはアレルギー医や内科医が集まっている


まとめとしては悪くない。ただ、より原文に忠実にするなら、化学物質過敏症や臨床環境医学を「」付きにするほうがより適切だ。いったいなぜ「」付きなのかは、以下の文章を読むとわかってくるだろう。

化学物質過敏症の訴えや疑いがあるとされている患者の中には、臨床環境医によって誤診された身体疾患の患者が混じっている

さて、「1.化学物質過敏症の訴えや疑いがあるなら心因性とせず、包括的な検査を行うべきである」というのはその通りである*2。とくに1994年当時においてはそうだ。なぜならば、「化学物質過敏症の訴えや疑いがある」症例には誤診、つまり化学物質過敏症ではない疾患が含まれているからである。これは精神疾患に限らない。いくつか例を挙げよう。


■"Total allergy". [Br Med J (Clin Res Ed). 1982] - PubMed - NCBI

1982年。総合アレルギー症候群"total allergy syndrome"(MCSと同じ)とされていた女性が、実際には過換気症候群であり、適切な治療によって改善した。スーパーマーケットやプラスチックを含む広範囲の日常品に過敏であるとされた女性は、2分間の意図的な過換気にて自発的に生じるものと同じような発作が誘発された。プラスチック製のスーパーマーケットの袋を使った再呼吸によって症状は治まった(注:現在では過換気症候群に対して袋を用いた再呼吸は推奨されていない)。


■Environmental illness and misdiagnos... [Regul Toxicol Pharmacol. 1993] - PubMed - NCBI

1993年。タイトルからして「環境病と誤診−増大しつつある問題」。環境病"Environmental illness"はMCSと同じ。臨床環境医による誤診と治療によって起こった合併症は「医原性」だとしている*3。環境病と診断されることの最大の不利益は適切な診断および治療が妨げられることだとも指摘されている。本論文では主に精神疾患について述べてあるが、身体疾患についても骨関節炎の患者が非ステロイド性抗炎症薬という適切な治療を受けられないことを例に挙げている。*4


■Multiple chemical sensitivity syndrome. [Am Fam Physician. 1998] - PubMed - NCBI

1998年。MCSの鑑別疾患として、身体表現性障害、パニック障害、不安障害、うつ病などと同時に、身体性疾患として、高カルシウム血症甲状腺機能低下症全身性エリテマトーデス線維筋痛症が挙げられている*5。臨床環境医が行うような検査は推奨されていない。


■Letters to the Editor: Understanding Patients with Multiple Chemical Sensitivity - American Family Physician
1999年。臨床環境医学に肯定的な論者(Dr. McCampbell)による「患者の訴えを心理的なものだとして却下するな」という指摘に対する返事。「Dr. McCampbellは私が患者の訴えを心理的なものだとして却下しているかのようにほのめかす。私は過去10年間の間、MCSと診断された患者を約70人を診てきた。70人の患者のうち9人が、多発性硬化症全身性エリテマトーデスイソシアネート誘発喘息農夫肺を含む器質的な疾患と診断された」*6。返事をしているのは、ヴァンダービルト大学の職業環境医学センター(Center of Occupational and Environmental Medicine)の医師である。職業環境医学(Occupational and Environmental Medicine)はまともな分野であり、臨床環境医学(Clinical ecology)とは明確に異なる*7。日本でもそうだが、臨床環境医学や化学物質過敏症の疾患概念に対する強い批判は、こうした化学物質の害を扱う「まともな」分野からなされている。




なぜこのような誤診が起きるのだろうか。患者が多い方が医師の利益になるという動機が関係しているのではないか、という推測は妥当だと私は考えるがどうか。日本とは異なり、当時の欧米の臨床環境医たちは開業医だった。

たとえば、Dr Keith Mumbyという臨床環境医は、「臨床環境医の標準的な手法」を実践し、約6000人もの患者を診てきた。6人を除いてすべてアレルギーに罹患していた*8。実に99.9%がアレルギーであったわけである。もちろん、ここでいう「アレルギー」は主流の医師の指すそれではなく、MCSとほぼ同義である。Dr Mumbyは患者が反応した物質から「ワクチン」を作り、また定期的に再テスト(コストは140ポンド。当時のレートで2万円強ぐらいか)を行った。1993年の話。

「臨床環境医の標準的な手法」とは誘発中和法(Provocation-neutralisation testing)のことである。詳しくは■誘発中和法 −疑わしい治療法−で述べたが、「原因物質」を皮内注射する手法である。治療として施行されることもあれば、診断として施行されることもある。Dr Mumbyを含む臨床環境医は、非盲検下において誘発中和法を行っていた。自覚症状もしくは皮膚膨疹で判定するため、その気になればいくらでも「アレルギー」と診断することが可能である。なお、Dr Mumbyは開業医であり、他の医療機関で診断がつかなかった患者が集まる高次病院の勤務医ではない。「アレルギー」と診断され、「ワクチン」による治療を受けていた患者の中には、他にもっと適切な治療がある身体的疾患を持つ患者は多くいたであろう。ちなみに、アレルギーの検査はアナフィラキシーなどの危険を伴うがDr Mumbyは除細動器を持っていなかった。

標準医療においても「過剰診断」は起こり得る問題であるが、代替医療の分野における根拠の明確でない疾患については特に著しい。患者がライム病の流行地にいたことがなくても、あるいは感染の客観的な臨床的証拠がなくても、慢性ライム病と診断されてしまう。機能性低血糖症は血糖値とは無関係に診断でき、「心療内科に精神症状を訴えて訪れた300人中、なんと296人が糖負荷検査の結果、“低血糖症”だった」などと主張される。「6000人もの患者を診てきたが6人を除いてすべてアレルギー」という事例との類似性は明らかだ。

さて、ここらでもう一度、AMAを含む複数の学術団体による1994年報告書の文章を思い出してみよう。


「化学物質過敏症の訴えや疑いがあるなら心因性とせず、包括的な検査を行うべきである」


この文章を「心因性だので片づけるのではなく、いろいろな方法で包括的に検査しなければいけないよ、ということで、まさに 宮田幹夫氏や坂部貢氏といったいわゆる環境臨床医と呼ばれる方々が取り組んでいる方向性を示してい」*9るという解釈は正しいだろうか?MCSや臨床環境医学に懐疑的な医師が「患者の訴えを心理的なものだとして却下している」という批判は架空の藁人形批判である。臨床環境医たちは治療可能な身体疾患をも見落として何でも化学物質のせいにできてしまう。本当の診断名は過換気症候群や高カルシウム血症や全身性エリテマトーデスや多発性硬化症であるのに、臨床環境医による科学的根拠のない診断法によって、MCSと誤診されている患者が含まれている。だから、MCSの訴えや疑いがある患者さんには「包括的な検査」が必要なのだ。

「臨床環境医学は主流な専門領域としては認識されていないが、専門家にも注目され」について、どのような意味において注目されてきたのか、あるいは、「アレルギー医やその他の専門家の診察を受けさせることも考えるべき」について、アレルギー医やその他の専門家は誰のことを指すのか(あるいは指さないのか)については、また後日述べる予定である。


*1:■An Introduction for Health Professionals | Indoor Air Quality | US EPA

*2:既にブックマークコメントで述べたが、"thorough workup"の訳としては「完全な検査」より「包括的な検査」のほうが確かに適切である。しかしながら、本文で詳しく述べるように、「化学物質過敏症」とされている患者の中には身体的な問題をかかえている人も含まれることを言っているに過ぎない、という主張には変わらない

*3:"The treatments recommended by clinical ecologists can have a significant adverse impact on those receiving the diagnosis. Since the harm derives from providing a wrong diagnosis and inappropriate treatments, the complications that arise are iatrogenic."

*4:"Perhaps the major disadvantage to receiving a diagnosis of El is that it deprives the subject of an appropriate medical or psychiatric diagnosis and access to proven therapies. For example, a patient with major depression could receive tricyclic antidepressants, or a person with osteoarthritis could receive nonsteroidal anti inflammatory agents."

*5:"Somatic illnesses that can mimic MCS include those with vague or subtle presentations, such as hypercalcemia, hypothyroidism, systemic lupus erythematosus and fibromyalgia."

*6:"Dr. McCampbell suggests that I dismiss these patients' complaints as psychogenic. Over the past decade, I have seen approximately 70 patients who had been diagnosed with MCS. Nine of these patients were diagnosed with organic disease, including multiple sclerosis, lupus erythematosus, isocyanates-induced asthma and farmer's lung."

*7:不幸なことに、臨床環境医学のほうが悪評を嫌ってか名前を変えるので注意が必要である。"the Society for Clinical Ecology"は"the American Academy of Environmental Medicine"と名前を変えた。追記:■臨床環境医学と環境医学は異なるで詳しく論じた

*8:"Dr Mumby practises the Miller technique,4 the standard method of clinical ecologists. He has seen about 6000 patients over the years and all except six had suffered from allergies. Patients were tested for allergy with a wide variety of substances, including gas and petrol fumes, milk, coffee, yeast, soya, and onion.", ■Alternative allergy and the General Medical Council. [BMJ. 1993] - PubMed - NCBI

*9:URL:http://d.hatena.ne.jp/sivad/20130809/p1