NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

不確かな診断の弊害。ADHDと慢性ライム病を例に。

「医療化」って問題があります。ぶっちゃけ単純に言いますと、医療化とは、必ずしも医療を必要としない状態を病気にしたてあげて治療の対象にしちゃうってことです。医学だけをやってるとあまり医療化の問題になかなか気付かないんですが、幸いなことに私はネットなどで非医療者のいろんな人に教えていただきました。

日常診療でも、「これって医療化ちゃう?」なんて例はよくあります。たとえば、脱水のない人に対する点滴。純粋に医学的には点滴の必要がなくとも、点滴を希望する患者さんがいらっしゃいます。なぜ点滴を希望するかをよく聞いてみると、「いつも開業医に点滴を勧められた」という事例があります。そのときは脱水があった(脱水が改善して症状がよくなった成功体験が点滴希望につながる)、とか、患者さんの不安をとるために便宜的に点滴を行った、とか、いろいろな理由はあるでしょうが、「あの開業医、もしかして患者さんを受診させて儲けるためにやたらと点滴してねえか」と疑うような事例もあるわけです。点滴自体の手技は安いものの、患者さんが受診したら受診料が入り開業医の利益になります。

そうだとしても患者さんに「点滴は要らねえよ。あんた騙されてんだよ」とは言えません。そう言って患者さんの利益になるなら言いますけどね。診察室では医学的な正しさよりも患者さんの利益優先です(点滴を希望する患者さんだけの利益優先ではありませんが)。患者さんの個性やそのときの外来の混み具合などにもよりますが「医学的には必ずしも必要でないとご説明するも患者さまが強く希望されるため」点滴しちゃうこともあります。点滴はまだコストが安いですが、もっと高価な医療についても同様なことは言えます。

注意欠陥・多動性障害(ADHD)の過剰診療

たいていの人が「これはアカンやろ」と思える事例を紹介するのがてっとり早いでしょう。


■ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める - GIGAZINE


多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴とする発達障害の注意欠陥・多動性障害(ADHD)は治療薬にメチルフェニデートという薬を必要とするとされていますが、「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで「ADHDは作られた病気の典型的な例である」とドイツのDer Spiegel誌に対してコメントしました。アイゼンバーグ氏は2009年10月に亡くなっており、インタビューはその前に実施されました。

(中略)

障害の定義付けに伴いADHDの治療薬の売上も増加し、1993年に34kgだったものが2011年には1760kgになり、18年間で約50倍に跳ね上がっています。薬の投与が広まった結果、アメリカでは10歳の男の子10人のうち1人がすでにADHDの治療薬を飲んでいます。アイゼンバーグ氏によれば、実際に精神障害の症状を持つ子どもは存在するものの、製薬会社の力と過剰な診断によってADHD患者の数が急増しているとのこと。


上記リンクした記事は不正確です。「ADHDは作られた病」は誤りで、「過剰な診断・過剰な治療が問題だ」というのが正確なところです(参考:■ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認める? - Togetter)。すべてのADHDがつくられたわけではなく治療を要するADHDの患者さんも存在するというのが医学的なコンセンサスです(その点が多発性化学物質過敏症と異なります)。ただ、記事の不正確さを認めたとしても、いくらなんでもアメリカにおけるADHDに対する薬物療法が過剰であることはご理解いただけるでしょう。

けれども、この記事を「我が子がADHDであると信じてリタリンを投与し続けてきた母親」が読んだとしたらどう思うでしょうか。「患者の訴えを無視している」と思う母親もいるのではないですか。我が子の行動(客観的には病的な行動ではなく普通のやんちゃな行動であったとして)や周囲からの圧力に悩んでいた母親は、治療薬を処方して問題を(一時的にでも)解決してくれた医師のほうを信じるのではないでしょうか。

こうした母親を傷つけないようにADHDの過剰診断・過剰治療の問題を指摘するのはとても難しいとは思います。医療化の問題を指摘するときにはしばしば起こる問題です。医療化の結果、治療の対象となった人たちは(少なくとも一時的には)利益を受けていることが多いからです。ADHDの過剰診断・過剰治療の問題を指摘したって、我が子の行動に悩む母親の問題は「解決されないまま置きざりにされている」わけですしね。しかし、だからといって医療化の問題を誰も指摘しないのは、医療化によって利益を得る医師たちの思うつぼです。

慢性ライム病 疑わしい疾患概念

ADHDは疾患概念自体はコンセンサスが得られている一方で過剰診療が問題でしたが、疾患概念自体が怪しい病気もあります。日本ではほとんど知られていませんが、「慢性ライム病」(Chronic Lyme Disease)という疾患概念がありまして、ダニから感染する病原体が引き起こすライム病という病気が慢性化するという主張です。まあライム病が慢性化することもあるかもしれません。十分な証拠があれば信じられるたぐいの話ですが、慢性ライム病の提唱者たちはその証拠をほとんど提出せずに診療を行っていました。慢性ライム病とされる患者さんは何らかの医学的な問題を持っていますので厳密には「医療化」とは言えませんが(なんかいい言葉ないですか?)、不適切な診断名をつけて医学的に妥当でない治療を行う問題は共通しています。


■A Critical Appraisal of “Chronic Lyme Disease” ― NEJM


The diagnosis is often based solely on clinical judgment rather than on well-defined clinical criteria and validated laboratory studies , and it is often made regardless of whether patients have been in areas where Lyme disease is endemic .
Although proponents of the chronic Lyme disease diagnosis believe that patients are persistently infected with B. burgdorferi, they do not require objective clinical or laboratory evidence of infection as a diagnostic criterion.
慢性ライム病の診断は十分に定義された診断基準や確認された分析データに基づくというよりも単に臨床判断にのみしばしば基づきます。そして、患者がライム病の流行地にいたかどうかに関わらず、しばしば慢性ライム病と診断されます。
慢性ライム病という診断を支持する医師たちは、患者がB. burgdorferi(ライム病の病原体)に持続的に感染していると信じているものの、彼らは診断基準として感染の客観的な臨床的証拠または分析データによる証拠を必要としません。


慢性ライム病の治療として長期大量の抗生剤投与とかやっちゃうんです(もっとわけのわからない代替医療的な治療がなされるときもある)。慢性ライム病診断を支持する医師および患者は、協会や多数の支持グループを作り、慢性ライム病の概念に疑問を呈する科学者を批判したのだそうです。「患者の訴えに耳を貸さず「トンデモ」呼ばわりするな」「慢性ライム病の可能性が否定できないのに検査もしないで否定するのは、充分な診療行為とはいえない」などといった批判もあったかもしれません。慢性ライム病の概念に疑問を呈する科学者だって、診察室で患者の訴えに耳を貸さなかったわけではないでしょうにね。というか、既に慢性ライム病であることを強く信じている患者さんを診察室で説得するのが困難だからこそ、公に慢性ライム病の疾患概念に疑念を呈する必要があるのだろうと思います。

慢性ライム病という病態がありうるとして(ありうるとは思う)、本来であれば病原体が慢性の感染状態にある証拠を提示し、コンセンサスの得られる診断基準を定めて治療方針を模索するという方法をとるのが一般的です。ゆるゆるの診断基準で証拠が不十分のまま多くの人を対象に根拠に乏しい治療を行うのはまともな医師のすることではありません。患者が増えることでインチキ診断を行う医師の利益にはなるでしょうが。「真の慢性ライム病」が存在しなかった場合はもちろんとんでもない話ですが、「真の慢性ライム病」が仮に存在したとしてもインチキ診断を行う医師の行為は許容できません。真の慢性ライム病が無数のニセ「慢性ライム病」患者の中に紛れ込んでしまって病態解明や治療法の進歩が阻害されるという結果におちいるでしょう。というか、どうもそんな状態のようです。

一般診療での問題点

一般的な医療機関での診療にも問題がありまして、客観的所見に乏しく症状の原因が不明確である患者さんは「あしらわれがち」になるという現実があります。十分な説明もなく抗不安薬を出されたり、酷い場合には「気のせい」扱いされることもあるでしょう。患者さんは不満に思います。そのような患者さんが非主流の医師によって、「あなたの不調の原因は病原微生物の慢性感染です。一般の医師たちは不勉強で慢性ライム病を知らないのです。さぞやおつらかったでしょう」などと説明されたら、信じてしまうのも当然でしょう。

このあたりは医療化ではなく代替医療の問題とも通じます。「もはや積極的治療はない」と放り出された癌患者さんが代替医療に流れるのと同じ構図です。診療の上手な医師は、症状の原因が不明確であっても、患者さんの訴えを十分に傾聴し、必要最低限の検査で患者さんに納得していただける説明をするでしょう。がん診療についても、緩和ケアと積極的に連携し患者さんが「放り出された」ように受け取らないような努力がなされつつあります。

既に根拠不明確な疾患概念を信用してしまった患者さんが受診すると医療の現場はたいへんです。患者さんの要求を無下に否定すると医師患者関係は悪化します。かといって、患者さんの言うがまま検査や治療を行うわけにはいきません。うまいこと医師患者関係を構築して徐々にご理解していただく、ぐらいしか方法を思いつきません。それとは別に、根拠不明確な疾患概念についての情報提供も必要であると考えます。診察室ではできないからこそ、情報提供が必要なんです。