NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

医療ネグレクトの定義

ホメオパシーをはじめとした代替医療の問題として、子供が必要な医療を受けられないことがある点が挙げられる。もちろん、多くの場合、代替医療を利用している親も、子の病状が重篤になれば医療機関に受診させ標準医療による治療を受けるだろう。しかし、現代医学を否定するタイプの代替医療に親がはまっている場合には、被害が生じる危険は高まる。日本でもホメオパシーに傾倒した親による子の医療拒否の事例が報道された。


■asahi.com(朝日新聞社):代替療法ホメオパシー利用者、複数死亡例 通常医療拒む - アピタル(医療・健康)


さいたま市では昨年5月、生後6カ月の男児が体重5千グラム前後の低体重のまま死亡した。両親は助産師の勧めでホメオパシーに傾倒。市によると、病院での男児のアトピー性皮膚炎の治療や予防接種も拒否していたという。


報道が事実であるとしたら、このケースは、虐待の一種である医療ネグレクトとみなされるだろう。ホメオパシーをめぐる議論で、医療ネグレクトに関するいくつかの混乱が見られたので整理したい。医療ネグレクトの定義には論者によって少しずつ異なるが、短くわかりやすい定義をまず紹介したい。東京都福祉保健局のサイトにある医療機関のための子育て支援ハンドブック*1から。



医療ネグレクトとは、医療水準や社会通念に照らして、その子どもにとって必要かつ適切な医療を受けさせないことです。


親の意図を問わないのがポイントの一つである。子を嫌って医療を受けさせていないのではなく、子が治ることを一心に願っていたとしても、必要かつ適切な医療を受けさせなければ、医療ネグレクトとされる。子を嫌って殴ろうが、子を思ってしつけのために殴ろうが、どちらも児童虐待にあたるのと同じである。(ただし、子を嫌っているケースとそうでないケースで、親への対応を変える必要はあるだろう。ここでは、「子を愛して行われるから」といって、子に危害が及ぶ事例が児童虐待や医療ネグレクトでなくなるわけではないことを確認しておく。)

ただし、この定義では、「医療水準や社会通念とは具体的にはどんなものか」「子どもにとって必要かつ適切と誰が判断するのか」という問題が残る。ほとんどの人が「それは必要かつ適切な医療だろ」だと判断するような事例だけならよいが、正当な親権の行使との境目があいまいな場合もありうる。仮想的な例を挙げよう。新生児が重い心臓病に罹っている。手術せずに内科的な治療のみであればほぼ100%死ぬが、手術を受ければ死亡する確率がほぼ0%になるとしよう。この場合、手術が「必要かつ適切な医療」であることは、多くの人に同意していだだけるものと思う。

では、手術せずに内科的な治療のみを続ければ80%が死ぬが、手術を受ければ死亡の確率が30%にまで下げられるとしたらどうか。手術は「必要かつ適切な医療」と言えるのか?親が手術を拒否するのは医療ネグレクトに当たるのか?手術を受けても70%しか助からないのであれば、手術をせずに20%の確率に賭ける親がいてもいいのではないか。「いやいや、70%と20%の違いは大きいだろ。医療ネグレクトだ」と考える方もいるだろうが、そういう方は、適宜、生存率の数字を変えて考えていただきたい。「内科的治療なら49%が助かるが手術なら50%が助かる場合に、手術を選択しないのは医療ネグレクトだ」と考える人はおそらくいないだろう。

つまるところ、医療ネグレクトであるかどうかについて、明確な境界線は存在しない。一方の端に明らかに医療ネグレクトの事例があり、もう一方の端に明らかに医療ネグレクトではない事例があり、その間にさまざまな濃淡のグラデーションが存在する。





医療ネグレクトのグラデーション


具体的な事例がわかりやすい。エホバの証人である両親が、消化管内の大量出血で重体となった1歳男児への輸血を拒んだケースでは、児童相談所は「医療ネグレクト」と判断した*2。医学的には、「輸血をすれば助かるが、輸血をしなければ生命の危険がある」という状況であり、また、輸血は苦痛や危険性はほとんどない医療行為であり、この事例はグラデーションの中でも黒に近いところにあるだろう。エホバの証人による輸血拒否は、子を嫌ってではなく、むしろ子を愛するが故に行われるが、「医療水準や社会通念」に照らせば、医療ネグレクトと判断される。このケースは、親権を一時的に停止され、子は救命された。

それでは、早急に生命の危険がない場合はどうか。具体的には、予防接種やビタミンK内服を親権者が拒否するケースを、医療ネグレクトと判断してよいのだろうか。微妙なところではあるが、井上*3は、日本における医療ネグレクトの文献を検討した上で、医療ネグレクトの定義を狭義および広義にとらえた*4



このこと[引用者注:親権者は医療に関して子供の最善の利益となる決定をする「義務」と「責任」があること]を踏まえて、医療ネグレクトの定義を見てみると、狭義には、その時点の医療水準や社会通念を考慮し、子どもに必要だと判断される治療があり、子どもが治療をしなければ生命に関わる状態なのに親が治療のすべて、またはその根幹となる部分を拒否することをいう。



また広義には、子どもの健康に何らかの異常があるにも関わらず、医療機関を全く受診しないことや、疾病予防ないし疾病の早期発見を目的とした健康診査や予防接種を保護者の判断などでまったく受けさせないことや遅延する行為も含むとしている。


いわば、狭義の医療ネグレクトはグラデーションのかなり黒い部分のみを指し、広義の医療ネグレクトは灰色の部分も含むと言える。狭義と広義で医療ネグレクトの定義を分けるのは、たとえば法的介入の必要性について議論するとき便利であろう。強制力をもった介入の妥当性について、狭義と広義の医療ネグレクトでは異なる。私は、広義の医療ネグレクトに対して強制力をもって介入するのは行き過ぎだと個人的には考える。


*1:URL:http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/koho/ko_shien_handbook/files/kosodate_handbook_3.pdf

*2:■即日審判で父母の親権停止 家裁、息子への治療拒否で - 47NEWS(よんななニュース)

*3:井上みゆき:日本における医療ネグレクトの現状と法的対応に関する文献検討,日本小児看護学会誌,16(1):69-75,2007

*4:引用元では複数の文献表記がなされているが引用にあたって省略した