NATROMのブログ

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反証実験の必要性〜化学物質過敏症に対する負荷テスト

田崎晴明氏による■「水からの伝言」を信じないでくださいに対し、■『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?(音極道茶室)にて、「やればいいじゃん反証実験。その結果を示すだけで、ごたくを並べなくとも完膚なきまでに否定できるじゃん」という意見が出された。反証実験をやったところで、完膚なきまでに否定できるわけもないことは目に見えているが、J2さん@音極道茶室の意図としては「メディアを巻き込むためのプレゼンとしての反証実験」をすべきというつもりだったとのこと。その有効性については疑問がないではないが、言わんとすることは理解できる。詳細な議論はリンク先のコメント欄でがなされているので省略するが、デモンストレーションとしてはともかく、一般的には田崎先生が言うように「新しい説を提出している科学者に、説得力のある証拠を提出する責任がある」でお終い。反証実験のコストも馬鹿にならないし、実験に対する不備を指摘されるといつまでも実験をし続ける羽目になる。

最近、化学物質過敏症に対する負荷テストの解釈を巡って議論になったのだが、反証実験のコスト、あるいは実験の不備の指摘に対する対応について改めて考えてみた。化学物質過敏症は概ね「特定の化学物質に接触し続けることによって過敏性を獲得し、以後は超微量の同系統の化学物質に対してさまざまな臨床症状を呈する状態」とされる疾患概念で、「臨床環境医」と称するグループから提唱されている。「水からの伝言」のように既知の物理法則とまったくかみ合わないという性質のものではなく、証拠さえあれば受け入れられるものである。ただ、化学物質過敏症とされる患者に症状を誘発させる化学物質の濃度にはかなり幅があり、「新築の家や消毒液の臭いのする病院で気分が悪くなる」から、「犬の嗅覚よりも敏感になる」、はては「残留農薬のある野菜の3メートル近くに寄っただけで、肩甲骨や首筋、視力に痛みが走る」というものまである。当然、その症状は本当に化学物質によるものか?という疑問が生じる。臨床環境医自身も認めているように、ブラインド下における負荷試験で判別可能である。もし症状が化学物質によって起こるのであれば、化学物質の負荷によって症状が起こり、プラセボ(偽薬)の負荷では症状は起こらないであろう((詳しくは■ブラインドテストの必要性を参照のこと))。

この実験は、本来は臨床環境医によってなされるべきものであるはずだが、私の知る限り肯定的な報告はない。1993年のStaudenmayerの報告では否定的な結果であった*1。環境省において、平成12年度に患者群8名及び健常対照群(非患者群)4名に対して実験が行われたが、否定的な結果であった。「この症例数ではその原因について明確な判断が出来なかった」ということで、平成13・14年度に被験者数を増やした実験を行ったが、「結果として、微量ホルムアルデヒド曝露と被験者の症状誘発との間に関連は見いだされなかった」。興味深い点は、プラセボ群で症状増悪がみられた患者が半数いたという点である。この結果は、化学物質過敏症患者の症状増悪は、化学物質の曝露と無関係であることを強く示唆する。ではこの実験で「完膚なきまでに」ほどではないにせよ、化学物質過敏症の疾患概念を否定できたかというとそうではない。一般向けにはほとんど報道されなかった。臨床環境医たちは、この実験などなかったかのように現在も診療を続けている。私が議論した相手が言うには、この実験には不備があるとのこと。それは概ね以下のようなものである。


・負荷される化学物質の濃度が薄い。負荷時間も短かすぎる。
・重症者を被験者とすれば有意な結果が出たはずだが、倫理的に重症者に負荷テストを行うことはできない。

・被験者はすでに何らかの治療がされていたはずで、そのために有意な結果が出なかった。

・ガス負荷室の汚染除去のためオゾン燻蒸を行うが、その後の換気が不十分である。あるいはプラセボといっても超微量のガスが含まれている可能性を否定できない。

・マスキングの除去の仕方に問題がある。プラセボ群での反応例は離脱症状である可能性がある。


「超微量の化学物質に対して反応する」と主張がなされてきたはずなのに、負荷テストのときに限り、化学物質の量や曝露時間が不足しているから反応しないという主張はおかしい。どれくらいの濃度で反応するのか、化学物質過敏症の存在を主張する側が明確にするべきである。重症者でないと診断不可能であるならば、これまで臨床環境医が負荷テストで行ってきた診断はどうなのか。日本の臨床環境医学の第一人者である石川哲によれば、「チャレンジテストは、実薬と偽薬を交代に用いて反応を見ます。そして、原因物質の除去による症状の消失と、その原因物質に再び触れさせること、さらに偽薬で反応が出ないことの証明によって、はじめて化学物質過敏症であることが最終的に証明されるのです(P177、化学物質過敏症ってどんな病気)」とある。「軽症の化学物質過敏症は診断できない」ということだろうか。治療によって反応しなくなったという主張もおかしい。なぜならば、プラセボに反応する群もあるからだ。治ったのに症状が出るのはなぜだろう?また、プラセボ反応者の存在は、「負荷量不足だから反応しない」「軽症者だから反応しない」という指摘では説明できない。オゾン燻蒸後の換気不十分、あるいはプラセボガスの汚染については、プラセボ反応者の存在は説明できるが、今度はプラセボ反応者の中にホルムアルデヒドに反応しない群が存在することが説明がつかない。超微量の残留オゾンには反応するのに、基準の1/2の濃度のホルムアルデヒドに反応しないのは奇妙である。

マスキング・離脱症状については説明が必要であろう。臨床環境医の主張によれば、化学物質の刺激が続くと「適応(馴化)」して症状が軽減する時期があり、それをマスキングという。また、マスキングされた状態から、化学物質の刺激がなくなると、逆に症状が悪化することがあり、これを「離脱症状」という。化学物質からの汚染が少ないクリーンルームに入ると症状が悪化したりするらしい。症状が悪くなっても良くなっても説明がつくわけだ。環境省の実験では、マスキング除去の期間は1日間もしくは2日間とっているが、それが不十分であるから有意な結果が出ないという。議論相手の主張を引用する*2



プラセボで症状が増強するのは、取り込んだ化学物質が体外に(排出)代謝されるときにも症状がでるからです。
重症の患者さんは、日々これを自覚しています。
自分の体内から排出される化学物質にも反応して症状がでます。
また、好転反応として一時的症状が強く出ます。

私は、マスキング除去の仕方に一番の問題点があると思っています。
負荷検査が行われる臨床環境医学センターのクリーンルームの中で、マスキング除去を行わなければ意味がありません。
入院期間中、化学物質除去に配慮された6階の一般病棟の個室が割り当てられますが、これでは、マスキングの除去どころか、むしろ自宅にいるより化学物質に曝露してしまう被験者もいるでしょう。
入院中は、負荷検査によって症状が出現するより以前に、一般病棟に入院することで病状が増幅された状態になってしまう事は否めません。

また、センターは2階にあり、負荷検査のためにセンター内のブースに入るにも、6階から来る途中で化学物質に曝露してしまいます。
これでは、マスキング除去されたとはとても言えません。
ブース(負荷)検査するクリ−ンルーム内で、マスキング除去が出来るようにならなければ、途中で化学物質に曝露してしまい症状が憎悪し、クリーンルームに入ったことで、再び身体に変化が出、被験者によっては症状を自覚された患者さんもいたかもしれません。そのような状態でプラセボで検査受けても、症状が増悪するのは当然であると考えます。
プラセボ検査で憎悪しているのではなく、一般病棟からクリーンルームに入った事で、マスキング除去が本当に始まるのです。そして、その際身体に変化が出ますし、その変化によって症状が憎悪し自覚される患者さんもいます。


これはつまり、臨床環境医学センターで行われた、「化学物質過敏症であることを最終的に証明する」はずの負荷テストはほぼすべて不備があるということである。マスキング除去を厳しくして負荷テストを行ったという先行実験があったわけでもなく、というかそもそもマスキングや離脱症状といった概念自体証明されたものではない。患者にとっては、「症状が本当に化学物質によるものかどうか」は実験によって検証されるべきものではなく、初めから前提としてあるもののようだ。だから、実験で証明できなければそれは実験に不備があるという訳である。おそらく、重症例に対して、マスキング除去を完璧に行ったとしても、有意な結果が出なければなにかしら実験の不備を見つけるだろう。「マスキング除去があまりにも完璧であったため、化学物質過敏症の症状が改善した」など。ここまでくると、化学物質過敏症の概念は反証不可能である。患者の立場からはそれも仕方のないことであろうが、臨床環境医となると話は別である。化学物質過敏症の疾患概念、マスキングや離脱症状といった概念を証明する責任があるのは臨床環境医のほうであるが、その責任は果たされていない。環境省の実験を受けて、臨床環境医が診断基準を見直したという話も聞かない。先行するStaudenmayerの報告で否定的な結果が出ていたのに、わざわざ環境省が実験を行う必要があったかどうかはともかく、否定的な結果が出たところで臨床環境医やマスコミ報道が変わることはなかったという点で、この実験の価値はコストに見合ったものではなかったと思う。


*1:Staudenmayer H. Selner JC. Buhr MP. Double-blind provocation chamber challenges in 20 patients presenting with "multiple chemical sensitivity". Regulatory Toxicology & Pharmacology. 18(1):44-53, 1993

*2:URL:http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=HL&board=1139820&tid=2bd3xjaabca2airbei&sid=1139820&action=m&mid=1762