NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

新薬に対する熱狂の弊害

新型コロナウイルス感染症に対する治療薬の評価がぼちぼち出つつある。トランプ大統領が推したことでも注目を集めたヒドロキシクロロキンはもともとは抗マラリア薬で、自己免疫性疾患にも使用されている。安価な経口薬で、使用実績が多く副作用の情報も把握されており、ヒドロキシクロロキンが新型コロナに効くなら大きな助けになったはずだが、残念ながら最近は旗色が悪い。

最近の報告だと、軽度から中等度の新型コロナウイルス感染症に対し、標準ケア、標準ケア+ヒドロキシクロロキン、標準ケア+ヒドロキシクロロキン+アジスロマイシンの3群を比較した、オープンラベル(非盲検)、ランダム化比較試験において、15日目の患者の臨床状態に有意差は見られなかった*1。参加者の合計は665人、それぞれの群は217~227人。アジスロマイシンは抗菌薬の一種で、併用するとウイルス減少に効果的だったという小規模な先行研究があった。

もちろんこの研究だけではヒドロキシクロロキンが効かないとは断言できない。研究にはそれぞれ限界や欠点があり*2、なんなら後に誤りや不正が発覚して撤回になる可能性だってある。一つの研究だけで結論が定まることはめったにない。ただ、他の研究も参照するにヒドロキシクロロキンはどうやら期待外れのようだ。効果があるとしても控えめで、少なくともトランプ大統領が言っていたような「ゲームチェンジャー」にはなれないのは確かである。

ここまでなら、当初高く期待されていた薬の効果が、より質の高い大規模な臨床試験で期待ほどではないことが明らかになった、というよくある話。加えて、薬への期待が異常に高まりすぎると弊害が生じるという教訓にもなる。米国アリゾナ州において、自己判断でクロロキンを予防目的で内服した男性が死亡したと報道された。トランプ大統領がクロロキンが安全で効果的だと主張するのをテレビで見たという*3。この男性が内服したのはヒト用のクロロキンですらなく極端な事例ではあるが、日本のワイドショーなどを視聴すると、特定の薬剤がさも特効薬であるかのように報道し、不確実性やリスクについての情報がきわめて不十分だと感じることが多々ある。

フランスでもクロロキンの期待が高まりすぎで悪影響が生じた。特定の医師がクロロキンを推奨し、国民の多くがクロロキンが広く利用できることを望んだという*4。よく言及されるのは、フランスにおいて、軽症の新型コロナ患者1061人に対してヒドロキシクロロキンとアジスロマイシンを併用投与したところ、973人(91.7%)が10日間以内に良好な臨床状態とウイルス学的治癒を得られたという研究である*5。対照群のない観察研究で、しかも無症状の患者も含まれており、改善が薬のおかげなのか自然治癒なのか区別ができない。「効果があるかもしれないから、ランダム化比較試験を行って検証する価値がある」ぐらいのことは言えるが、その結果は冒頭に紹介したように効果を確認できなかった。

医療には不確実性はつきもので、目の前に病気に苦しむ患者がいれば効果が不明確でも薬を使うという選択肢はある。結果的に効果がなく、あるいは、副作用が生じるということもあるだろう。不確実性について十分な情報提供が必須だ。ただ、メディアではとくに、「効果があるかどうか現時点ではよくわからない。重篤な副作用があるかもしれないし、それほどはないかもしれない」という正確だがあいまいに聞こえる言説よりも、「効果はあります。国民のために一刻も早く承認をすべき。命がかかっているんです!」と断言してくれる言説のほうが好まれるようだ*6。これは、洋の東西を問わない。

クロロキンを推奨するフランスの医師はメディアの人気者になった。一方で弊害として、フランスではクロロキンを処方しない医師が「物理的な脅迫」を受けた、ランダム化比較試験への参加者が集まらない(対照群に振り分けられたくないため)*7、クロロキンの在庫が不足して以前から薬を必要としていた患者さんに薬が届きにくくなった*8、といったことが起こった。日本でも似たようなことは起こっている。

臨床試験、とくにランダム化比較試験の意義について理解が得られていないことが原因の一つかもしれない。以下に挙げる主張はいずれも臨床試験を行わない理由にならない。「薬の作用機序から考えて効果が期待できる」「試験管内で抗ウイルス活性がある」「有名人の誰それが薬を飲んで良くなった」「何人もの人が薬の投与後に回復した」「新型コロナは急に自然治癒するような病気ではないから薬は効いたはず」「臨床医の実感として効果がある」「効かなかったらこんなにたくさんの人に使われていない」「有効ではないというエビデンスがない」。

エボラウイルス病(エボラ出血熱)に対して、有効で安全な治療法は確立していない。ランダム化比較試験がほとんど行われなかったためだ(実行された唯一のランダム化比較試験は流行が終了しつつあったため目標患者数を達成できなかった)*9。エボラウイルス病は新型コロナウイルス感染症よりもずっと致死率が高い。いったん罹患したら高い確率で亡くなるのでランダム化比較試験を行うのは非倫理的だ、 という意見もあるかもしれないが、それも誤りだ。いつまで経っても有効な治療法がわからない状態が続く方が非倫理的である。また、「重症者にはプラセボ効果がない」ことをもってランダム化比較試験ができないことにはならない。対照群には必ずしもプラセボ投与されるわけではないし、倫理的な理由でその時点での標準治療が行われるのが原則だ。エボラウイルス病に対して行われたランダム化比較試験では、「その時点の標準治療」として経口ファビピラビル(アビガン)が対照群にも投与された。

繰り返しになるが、ランダム化比較試験を済ませないと、その薬を投与してはならないと言っているわけではない。投与するなら、患者は不確実性について十分に説明され、また、医師には覚悟が必要である。すでに臨床試験が済み、十分に確立された治療であっても、想定される不利益について医師には説明義務がある。効果が未確認の治療法はなおさらだ。メディアで新薬(あるいは既存の薬の新しい使用法)について報じるときには、過度に煽らず、不確実性についても十分に情報を提供していただきたい。


新しいニセ医学「新型コロナ否認主義」

標準的な医学的知見を否定する名誉教授と市議会議員


日野市議会議員の池田としえ氏が、2020年6月8日に「新型コロナに迫る!」 *1と称して議会で質問をしたが、その内容に危惧を覚えたのでここで指摘する。端的に言えば、池田としえ氏は、YouTube等で徳島大学名誉教授・大橋眞氏が主張している「新型コロナウイルスは存在しない」というきわめて根拠に乏しい独自の説に基づいて質問を行った。動画*2を拝聴したところ、大橋眞氏の主張には問題点がいくつもあった。

「やはり、新型コロナウィルスは存在しない」と題する動画を紹介する池田としえ氏のfacebookの画像。
池田としえ氏のfacebookより。「やはり、新型コロナウィルスは存在しない」。URL:http://archive.vn/SsLPH

ほとんどの人がご承知であるが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は重症の肺炎を引き起こす。しかし、大橋眞氏は標準的な医学的知見を否定し、「PCR検査で測定しているのは、病原性のない常在性ウイルスである可能性が高い。コロナ騒動は常在性ウイルスをみてそれで病気だ、たいへんだと国中大騒ぎしている」などと主張する。ただ、そう主張できるだけの根拠は提示されていない。大橋眞氏は、最初に武漢で報告された新型コロナウイルス感染症症例の肺において、免疫機能が落ちたために常在性のウイルスやバクテリア、真菌の類いが増殖している可能性を指摘した。そこまでは正しい。しかしながら、いまや、武漢だけではなく、世界中で新型コロナウイルスは確認されている。もし、新型コロナウイルスが病原性のない常在ウイルスであるのなら、世界中で多くの人が肺炎になり、死亡しているのはどういうわけであろうか*3。また、ニュージーランドや台湾といった防疫に成功している地域で新型コロナウイルスが検出されていない理由を説明できない。

大橋眞氏は「ウイルスを誰も分離していない」と主張しているがこれも誤りだ。新型コロナウイルスは分離もされているし細胞を用いた培養系も確立している。「このウイルスを使って感染実験、実証実験をしないとわからない」という主張も、現代医学を理解していないとしか思えない。新型コロナウイルスについてヒトに対する感染実験がなされていないのは事実だが、倫理的にそのような実験が許されるはずがない。コッホの原則(病気にかかった対象から分離された病原体を健康な個体に感染させ、病気が再現し同じ病原体が分離されることでもって病原体と病気との関連が示されるという原則)に触れて新型コロナウイルスの病原性が確認されていないとほのめかすが、コッホの原則には限界があることは現代医学では常識である。

感染実験なしでも、疫学的な方法で病原体と病気の関連を示すことはできる。たとえば、特定の井戸の水を飲んだ人たちにコレラが多く発症し、井戸の近くに住んでいるが井戸水を飲んでいない人からはコレラが発症してないことが観察できたとしよう。さらに、井戸水中およびコレラ患者の便中から同一の病原体が見つかり、健康な人から見つからなければ、その病原体がコレラの原因であると推定できる。付け加えれば、意図的にコレラ菌を感染させる実験を行わなくても、コレラ菌を含む井戸水を飲んでしまった人たちがコレラを発症することが、一種の実験(自然実験)になる。

新型コロナウイルスも同様の方法で病原体と疾患の関係を示すことができる。確かに、武漢の報告だけでは結果的に誤りであったということも可能性としてはありえた。しかし、世界中でこれまで経験したことにないような肺炎の流行が見られ、それらの症例中から高い確率で新型コロナウイルスが検出され、さらに重症肺炎を発症した人に濃厚接触した人が肺炎にかかり、その症例からも新型コロナウイルスが検出されているのだ。意図的ではないせよコッホの原則に準じた自然実験を、世界中で何度も再現性良く行っているようなものである。

大橋眞氏は自説をYouTubeの動画ではなく論文として発表すべきである。論文として発表する際には上記したような批判を査読者から受け、まともな医学雑誌には掲載されない。


「エイズ否認主義」との類似性


大橋眞氏の説を荒唐無稽と思われたであろうか。確かに荒唐無稽であるが、類似した先行事例がある。「エイズ(後天性免疫不全症候群)の原因はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)ではない」という、「エイズ否認主義」と呼ばれる主張だ*4。確かにHIVが発見されてすぐは、HIVが本当にエイズの原因かどうかについて確定的ではなかったであろう*5。ヒトに対する意図的なHIVの感染実験は倫理的に行うことはできない。しかし、その後の疫学的あるいは分子生物学的研究の進歩もあって、いまやHIVがエイズの原因であることについてまともな医学者の間では議論はない。感染実験の不在を根拠に病原体と病気の関係を疑うのはエイズ否認主義が由来と思われる。

エイズ否認主義は、おそらく、もっとも人を殺したニセ医学である。適切な治療を行えばエイズはコントロールできる病気だ。しかしながら、HIVが原因であると認めず、あるいはエイズ治療薬こそが病気の原因の一つであると誤認したらどうであろうか。そして、一個人が誤認するだけではなく、政治家が誤認してしまったら…。南アフリカ共和国では政府が標準的な科学的意見を受け入れず、HIVがエイズの原因であることや効果的な治療薬を認めなかったせいで2000年から2005年の間だけで33万人以上もの犠牲者が出たという試算がある*6

翻って「新型コロナ否認主義」を考えよう。新型コロナウイルスは常在する病原性の低いウイルスだという誤認がどのような結果を招くか。ことは感染症であるので不利益を被るのは誤認した本人に留まらない。ましてや地方自治体とは言え政治家が公衆衛生学的に害を及ぼす説に親和的であることはきわめて問題だ。

ニセ医学に対して批判的に言及すること自体が、動画の再生やウェブサイトの閲覧を招き、ニセ医学を主張する者に有利に働くというジレンマがある。放置するという選択肢もあったが、新型コロナ否認主義の動画は私が見たときには1万回以上の再生数があり、好意的なコメントもついていた。また、ある言論プラットフォームにゲストオーサーとして大橋眞氏の記事が掲載されていた。すでに新型コロナ否認主義は一定の注目を集めており、対抗言論が必要だと判断した次第である。動画やウェブサイトのURLを提示しているがリンクを張っていないのは、彼らの情報の拡散にできるだけ協力したくないからだ。読者のみなさんにもご配慮をお願いする。


新型コロナ否認主義と他のニセ医学との連鎖


新型コロナ否認主義とエイズ否認主義は外見の類似だけにとどまらない。新型コロナ否認主義の主張者はエイズ否認主義にも親和的である。池田としえ氏は「HIV(エイズ)でノーベル賞を受賞したフランスパスツール研究所のモンタニエでさえ動物の感染実験には未だ成功していない」と述べた。意図的な感染実験なしでも病原体と疾患の関連を十分に示すことができることをHIVの事例は教えてくれるのだが、池田としえ氏はそうした医学的な知見を理解していない。

また、池田としえ氏は、エイズ否認主義の代表的な提唱者であるピーター・デュースバーグの映画を好意的に紹介したことがある*7。これは池田としえ氏が全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会事務局長であることと関係があると思われる。池田としえ氏はHPVワクチンを否定する情報ならどのような怪しいものでも信じる傾向があるようで、「HPV(ヒトパピローマウイルス)は子宮頸がんの原因ではない。つまりHPVワクチンは子宮頸がんの予防には役に立たない」というニセ医学にも好意的である。事実は、HPVは子宮頸がんの原因である。デュースバーグはエイズ否認主義者であると同時に、HPVが子宮頸がんの原因であることも否定しており、HPVワクチンに反対するが現代医学についてよくわかっていない論者によってしばしば紹介されている*8。ニセ医学に頼らなくてもHPVワクチンによる被害を訴えることは可能であるのに、事務局長という立場の人間が怪しい説を信じてしまうのは不幸なことである。

大橋眞氏もまたエイズ否認主義にひじょうに親和性がある。というか、エイズ否認主義ど真ん中だ*9。標準的な医学的知見では、エイズの病原体はHIVであり、効果的な治療法もすでに存在している。信頼できる情報源はいくつかあるが、■公益財団法人 エイズ予防財団 | HIV感染症・エイズについて | HIV/エイズの基礎知識 | HIV/エイズと共にを紹介しておく。大橋眞氏はエイズ否認主義以外のニセ医学にも親和性があり、たとえば輸血利権や輸血の代替手段の研究のタブーの存在をほのめかす*10。輸血否定もニセ医学の定番だ。ちなみに一般的な輸液でどこまで輸血が減らせるかという研究はタブーだと大橋眞氏は主張しているが誤りである。タブーではなく大橋眞氏が知らないだけだ。また、輸血を含む血液製剤は献血といった有限な原料から作られており、「売血ビジネス」どころか医療費節約の観点からも、適正利用が勧められている*11

大橋眞氏は徳島大学名誉教授という肩書があり、専門分野で業績があることも否定しない。しかしながら、専門分野で業績のある科学者・医学者がニセ科学にはまってしまう事例はこれまでいくらでもあった。肩書だけで信用するべきではない。


分断に対する危惧


病気そのものだけではなく自粛に伴う経済的な困窮のほうが苦しいという人もたくさんいる。とくに若い世代ではそういう傾向があるだろう。そのような人たちにとって「新型コロナは存在しない」というニセ医学は魅力的に感じるかもしれない。恐ろしい病気は存在せず、検査薬や薬やワクチンを売りたい製薬会社の陰謀であって、自粛なんて必要ない、自由に過ごしていいというお墨付きを与えてくれるからだ。大橋眞氏の動画の再生数と好意的なコメントの理由の一端もそのあたりにあるのではないか。

少数派だからと無視していれば気づいたときには取返しがつかなくなりうる。エイズ否認主義の教訓を忘れてはいけない。新型コロナウイルス否認主義は、ウイルスの流行を広め、近い将来には有効な薬やワクチンへの反対論をもたらすであろう。また、新型コロナウイルス感染症は、若い世代では重症化しにくいとは言え、重症化しないわけではない。ニセ医学を信じた個人においても不利益をもたらす。

自粛しない、あるいは自粛できない人たちを非難するだけでは効果がないばかりではなく、逆効果かもしれない。自粛による不利益への補償や配慮を今以上に十分に、かつ、できる限り公平に行ってほしい。また、メディアの方々は、新型コロナ否認主義の取り扱いに注意をしていただきたい。アクセス数や発行部数が稼げるからと医学的に不正確な情報を垂れ流すのは、売れるからと腐っているかもしれない食べ物を売るのと同様である。新型コロナ否認主義を好意的に紹介するのはもちろんのこと、両論併記ですら不適切だ。HIVとエイズの関係や輸血の有用性を否定する人物が信用に値するのか、よく考えてみてほしい。


*1:URL:http://www.ikedatoshie.com/20200610.pdf

*2:URL:https://youtu.be/RjI6uCLDbUw

*3:可能性だけを言うなら、新型コロナウイルスとは別に未知の病原性の強いウイルスXが存在し、新型コロナウイルスはウイルスXに付随しているだけという考え方もあるだろう。エイズ否認主義でもそういう主張はあった。しかしその場合、世界中の医学者がウイルスXの存在を、仮説レベルですら、見落としていることになる。また、新型コロナウイルス陰性の重症肺炎症例がもっとたくさん観察されるはずである。なお、「スペイン風邪」がそうだったように、時間が経つにつれてウイルスの病原性が弱まり、あるいは集団免疫がついて、新型コロナウイルスが常在性のコロナウイルスに似るようになるという可能性はあるが、そうなるとしてもまだまだ先の話だし、そのような楽観的なコースをたどるかどうが現時点ではわからない

*4:「HIVとの関連を疑っているだけでエイズという疾患そのものは否認していない」という指摘もあるが、すでに広く受け入れられている用語であることに加え、エイズ否認主義はエイズに関連する標準的な医学的知見のほとんどを否認していることもあって、この用語を使う

*5:この点でも「新型コロナウイルス否認主義」との類似点がある。HIVがエイズの原因ではないかもしれないという主張は、HIV発見直後は合理的な疑いでありえた。しかし、証拠が積みあがった現在はもちろん、あるいは南アフリカ共和国で犠牲者が出た2000年ごろであっても完全にニセ医学である。同様に、武漢でしか流行が確認できていない時期であれば、新型コロナウイルスの病原性についての疑い、たとえば季節性インフルエンザと同程度ではないか、という主張には一定の合理性があったが、現時点では完全に間違っている

*6:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19186354/

*7:URL:https://twitter.com/toshi2133/status/907343823168139264

*8:たとえばURL:http://archive.vn/wip/dkw6c、URL:http://archive.vn/wip/nMUGe

*9:「結局は今まだそのAIDSに関しても本当の病原体はあるんでしょうか?というレベルなんですよね」「AIDSの薬の治療が必要だということで国際協力のような形で薬が使われると(中略)その薬をつくっているメーカーが大儲けできるという風な仕組みができると、そういう風なことになるわけです」「よくわからない遺伝子を使って病人を作り出すシステムというのはAIDSにあるんじゃないか?という気はします」などと発言している。URL:http://archive.vn/3DjSY

*10:「血液も本当はどこまで輸血が必要かっていうこともほとんど、まだ検討されていない状態で輸血利権みたいなものがあって無料で集めた血液を一本なんですか( ??聞き取れず ) こういう形でね売って収入に分けるということになっているんですよね」「生理食塩水の方が負担が少ないケースの方が結構あるはずなんですよね。それを研究すればね輸血の量ははるかに減らせるはずなんですけれど。少なくとも そういう研究すらされていないですよね。(中略)そこはタブーなんですよ」という発言もある。URL:http://archive.vn/3DjSY『マスコミでは絶対、言えない「新型コロナウィルスの真実」に迫る!タブーの日赤の売血ビジネスも!徳島大学名誉教授で免疫生物学専門の大橋眞(まこと)医学博士へのインタビュー! 文字起こし』より引用。「輸血を全否定しているわけではない」という(ニセ医学擁護によくありがちな)反論が予想できるが、はたしてその擁護が正当なのか、全否定していないからと容認できるような言説なのかどうか、大橋眞氏の輸血に関する発言を聞いてから判断していただきたい

*11:たとえば、■ 「血液製剤の使用指針」(改定版)|厚生労働省。一言でいえば「血液製剤を無駄遣いするな」

「擬陽性(疑陽性)」と「偽陽性」は違います

新型コロナウイルス感染症に関連して検査の性能が話題になっています。本当は感染していないのに検査で誤って陽性という結果が得られることを「偽陽性」といいます。英語では"false positive"。この"false positive"を「擬陽性(疑陽性)」と呼ぶことがありますが誤りです。どちらも読み方が「ぎようせい」なのでうっかり間違いやすいですが、「偽陽性」と「擬陽性(疑陽性)」は、異なる用語です。漢字変換候補に「擬陽性」が先に上がることもあり、誤用の一因になっているようです*1。私は偽陽性を入力するときは「にせようせい」から変換するようにしています*2

「擬陽性(疑陽性)」という医学用語もちゃんとあります。陽性とも陰性とも言い切れない、陽性に近い反応なので陽性を疑う、というのが擬陽性(疑陽性)です。具体的な例がわかりやすいでしょう。結核に対する免疫能を評価するためのツベルクリン反応検査において、以前は擬陽性(疑陽性)という判定基準がありました。

ツベルクリン反応検査は、まず結核菌由来の抗原を含んだ液を皮下注射します。結核菌に感染したことがあったり、BCG注射を受けたりして結核菌に対する免疫能があれば、反応して皮膚が赤くなったり硬くなったりします。国によっても判定基準が異なるのですが日本では48時間後にこの発赤と硬結を測定し、以前は発赤が10mm以上なら陽性、4mm以下なら陰性、そして5~9mmなら擬陽性(疑陽性)としていました。

f:id:NATROM:20200512095341j:plain
ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)

一方、ツベルクリン反応における偽陽性"false positive"は、「結核菌に感染してもいなければBCG接種も受けていないのにツベルクリン反応検査で10mm以上の発赤が生じる」ことです*3。擬陽性(疑陽性)ならその場で見てわかりますが、偽陽性はその場ではわかりません。ツベルクリン反応以外の方法で結核菌の感染の有無を調べるなどをしてはじめてわかります。

ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)という判定基準は現在では使われていません。ツベルクリン反応に限らず、現在、臨床の現場で、擬陽性(疑陽性)という言葉はあまり使いません。また、私の知る限りにおいて新型コロナウイルス感染症の検査で擬陽性(疑陽性)が問題になることはありません*4。検査の性能における感度や特異度の話をしているときには擬陽性(疑陽性)は出てきません。対応する「擬陰性(疑陰性)」という言葉がほとんど使われていないことからもわかるでしょう。

間違いやすく偽陽性と音で区別できない「擬陽性(疑陽性)」という用語は使わないほうがいいでしょう。「陽性に近い反応なので陽性を疑う」ことを指すには、偽陽性と混同されないよう、「境界域」や「弱陽性」などといった言葉を使うほうが望ましいと考えます。どうしても「擬陽性(疑陽性)」という言葉を使うなら、きちんと定義してから使わないと、単に間違えているだけなのか、それとも偽陽性とは区別して使っているのか、相手に伝わりません。

参考:
■特異度と偽陽性率と陽性反応的中割合と

*1:まさしくこの記事をつい最近買い替えたパソコンで書いているのだが、まず「擬陽性」が候補に挙がった

*2:「偽陽性」ではなく「誤陽性」と呼ぶ論者もおり、これも擬陽性(疑陽性)と区別する良い方法と思われる

*3:検査の目的によってはBCG接種後の陽性も偽陽性とされることがある。検査のゴールドスタンダード(参照基準)とは何ぞや、というマニアックだが興味深い問題にぶつかるが今回は深入りしない。

*4:理論上は「PCR後の生成物の量がゼロではないが不十分」ということはありえるが、通常は定性的に陽性か陰性かを判定する