NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

血液1滴で13種のがんを同時に検出できる検査ってどうなの?

マイクロRNAによるがん診断技術がニュースに

東芝が「1滴の血液から13種類のがんいずれかの有無を99%の精度で検出できる技術を開発し、2020年から実証試験を始める」というニュースが報道された。血液中のマイクロRNAをマーカーとするもので、研究としては以前から行われており*1、怪しいものではない。むしろ、なんで今さらこんなに大きく報道されているのかがよくわからない。


■血液1滴でがん13種99%検出 東芝、20年から実証試験 | 共同通信


人間ドックのオプションを目指すという報道もある。通常のがん検診では、負担が大きいわりに一種類のがんしかわからない。バリウムを飲んで、げっぷを我慢しつつ、透視台の上でグルグル回わされたあげく、胃がん(とせいぜい食道がん)しかわからない胃部X線検査と比べれば、血液一滴で13種類ものがんがわかるとは、なんと素晴らしいことか、と思う方々もたくさんいらっしゃるであろう。ただ、現時点ではまだ研究途上であり、従来のがん検診の代わりになるためには、越えなければならないハードルがいくつもある。

そもそも「99%の精度で検出」ってどういう意味?

今回の報道では、東芝によるプレスリリース*2には、「99%の精度で網羅的に識別できる」としか書かれていない。検査の性能を表す指標はいくつもあり、報道されている「精度」が何を意味しているのかがよくわからない。

指標の一つが「感度」で、疾患を持っている人の中で検査で陽性に出る人の割合を指す。乳がんの患者さん100人に対して検査を行い、そのうち99人が検査で陽性であれば、感度は99%である。血液1滴のがんの検査で感度が99%であるなら、これは優れていると言っていい。特定のがん腫において、マイクロRNAを用いた検査で感度が99%という報告はいくつかあるが*3、「13種類のがんいずれかの有無」を感度99%で検出できるというのは、にわかには信じがたい。特異度がどれぐらいなのかを知りたい。

「特異度」は、疾患を持っていない人の中で検査で陰性に出る人の割合だ。感度と特異度を両立するのはしばしば困難で、感度を高めようとすると特異度が下がってしまう。極端な話、特異度を度外視すれば感度100%を達成するのは容易で、検査を受けた人全員を陽性と判断すると、特異度は0%だが感度は100%になる。検査の性能を評価するには、感度と特異度のどちらかだけでは不十分だ。「99%の精度で検出」と言われてもそれだけでは何とも、というのが正直なところ。感度と特異度の両方を報じて欲しい。

どの集団を対象した「99%の精度」なの?

さらに、たいていの研究途上の検査の感度や特異度は、すでにがんと診断された患者さんを対象にして算出された数値であることに注意を要する。がん検診が行われていないがん腫では、がん患者の多くが自覚症状などの何らかのきっかけで病院を受診し、がんと診断されている。がん患者さんを(たとえば)100人、対照となる健康な人を100人集めて、検査を行い、それぞれの群で検査に陽性に出た人と陰性に出た人の数を数えれば、感度と特異度は算出できる。

一方で、人間ドックやがん検診は自覚症状のない人が受けるものだ。「自覚症状が出るぐらいまで進行したがんであればよい感度で診断できるけれども、無症状の集団では感度が下がる」という可能性はいかにもありそうだ。がん検診に応用したいなら、無症状の人を対象にした研究が必要だ。これは、けっこうたいへん。

無症状の人を(たとえば)1000人集めて検査したとして、その中でがんの患者さんの数は一握りである。日本人男性の全がん罹患率が10万人年あたり800人ぐらいなので、仮に今後1年間に発症するすべてのがんを対象とするとしても、がんの患者数は1000人中8人だ。これでは正確な感度の算出はおぼつかない。

「ステージ0からがん罹患の有無を識別」との報道もあるが、検査陽性者をかたっぱしから調べたらステージ0の患者さんも含まれるのは当然であって、ステージ0の患者さんのうちどれぐらいが検査陽性になるのかが問題なのだ。

がん検診の有効性を証明するためのハードル

さらに、がん検診において感度を算出する際の分母(疾患を持っている人の総数)の把握が困難という問題もある。通常のがん検診では一次検査の陽性者を対象に精密検査が行われるので、真陽性(一次検査で陽性で精密検査でも陽性)や誤陽性(一次検査で陽性だが精密検査では陰性)の数は把握できる。一方、一次検査で陰性であれば精密検査は行わないので、誤陰性(一次検査で陰性だが精密検査では陽性)の数はわからない。しかし、感度の分母は、疾患を持っている人の総数(=真陽性+誤陰性)なのだ。

誤陰性(見落とし)の数を把握するには、一次検査陰性者にも精密検査を受けていただくとか、一次検査陰性者を長期間追跡してがんと診断されたかどうかを数えるとか、もう一手間かかる(参考:■がん検診の「見落とし」を数えるのは難しい)。一口に感度と言っても、自覚症状から診断された患者さんを対象とした研究途上の段階の感度と、無症状の多くの患者さんを対象とし丁寧に追跡調査した実地臨床における感度とはまったく意味が異なる。

さらにさらに、たとえ感度・特異度が優れた検査でも、それだけではがん検診が有効であるとは限らない(参考:■検診で発見されたがんの予後が良くても、がん検診が有効だとは言えないのはなぜか?)。がんを効率的に発見できるというだけで拙速に検診に利用するとかえって害のほうが大きくなりうる。がん検診を受けた群と受けなかった群を比較して、がん死亡率の減少が示されるまでは、有効かどうかはわからない。

「尿1滴」のがん検診の教訓

日本では「尿1滴」でわかるがん検診が導入されたという教訓がある。小児がんの一種である「神経芽細胞腫」は、尿中に排泄された腫瘍の代謝産物を測定することで診断できる。1985年に全乳児を対象としたマススクリーニングが開始され、尿をしみこませた紙を郵送するだけという簡便な方法であったこともあり、受診率は9割を超えていたという。

だが、神経芽細胞腫による死亡は減らない一方で罹患率は上がるという研究が複数出てくるようになった。利益が不明確である一方で害はしっかりある(「尿を出すだけなので検査には害はない」などという誤解をしている読者は少ないと思う)。しかし、いったん開始されたスクリーニングを中止することは、利害関係、政治的思惑、受診者の感情など、さまざまな理由できわめて困難だ。神経芽細胞腫マススクリーニングは2003年に休止された。ある検診の教科書では、厚生労働省は「模範的な行動をとることができた」と評価されている*4

まだあわてるような時間じゃない

他にも「血液1滴、尿1滴でがんを診断できる」と称する検査法はたくさんある。中にはすでに、自費診療での人間ドックでオプションで受けられる検査もある。しかしながら、これらの検査のうち、がん死亡率を減らすことが証明されたものは一つもない。本にも書いたが、研究に協力するのならともかく、高額の対価をとって行う検査を受けるのはおすすめしない*5。中には「がんを予防する」と称するインチキ治療と組み合わせているクリニックもある。

今回の「血液1滴から13種類のがんを99%の精度で検出する技術」も今後の研究次第だ。検診ではなく、診断の補助や予後予測、再発モニタリングのほうが見込みがあるのではないかと個人的には考える。ただ、営利企業としては、検診に応用されたほうがずっと広く使用され、利益が上がるわけで、そこを目指すのは理解できる。研究を進めていくためにも、検査機器の開発は重要だ。将来に期待したい。

ただ、「高い精度でがんを検出」という触れ込みだけで、がん死亡率減少が検証されないまま、がん検診に広く使用されることがないよう、切に願い、また、注意を喚起したい。「私も受けたい」「健診に早く導入を」ではなく、「しっかりと研究をしてください」というスタンスがよいのではないか。


*1:たとえば2014年の国立がん研究センターのプレスリリース、https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2014/0613/index.html

*2:https://digitalpr.jp/r/36200

*3:たとえばhttps://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/30333487

*4:スクリーニング―健診、その発端から展望まで』、ラッフル著、ミュラー著、同人社、P196

*5:医師が教える 最善の健康法』、P46

HPVワクチンの定期接種は人体実験だったのか?

厚生労働省のリーフレット(平成25年6月版)には「子宮頸がん予防ワクチンは新しいワクチンのため、子宮頸がんそのものを予防する効果は証明されていません」*1との記載があった。子宮頸がんのほとんどはHPV(ヒトパピローマウイルス)の感染が原因で起こるのだが、HPVに感染し、前がん病変を経て、子宮頸がんに至るまでは時間がかかる。人によっても差はあるが、数年間から長ければ数十年間といったところだ。よって、ワクチンを接種してから子宮頸がんの減少が観察できるまでは時間がかかる。

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子宮頸がんとHPVワクチンに関する正しい理解のために(日本産科婦人科学会)より引用
URL:http://www.jsog.or.jp/modules/jsogpolicy/index.php?content_id=4

細かいことを言えばワクチン接種後に浸潤子宮頸がんが減ったとする報告はUSAとフィンランドからあるが*2、エビデンスは限定的でまだ確実とは言えない。現在、確実に言えるのは、HPVワクチンが、高リスク型HPVの感染を減らすことと前がん病変を減らすことまでだ。どちらも複数のランダム化比較試験および観察研究で確認されている*3

HPVワクチンに批判的な人たちから、よく、「子宮頸がんそのものを予防する効果が証明されていないのに、ワクチンを定期接種にしたのはけしからん。人体実験だ」という意見が出る。その意見が正しいとすると、日本だけではなく、世界中の多くの国々で人体実験が進行中で、WHOやCDCといった公的機関も人体実験に加担していることになる。結論を言うと、HPVワクチンの接種が推奨されているのは人体実験ではない。直接的な証拠がなくても、子宮頸がんを減らすことが期待できるだけの十分な蓋然性、合理性があるからだ。

子宮頸がんの原因はHPV感染である(これを否定する言説は完全にトンデモとみなしてよい)。HPV感染を防ぐなら子宮頸がんを防ぐだろうというのは合理的な推測だ。前がん病変を防いでいるなら、その蓋然性はさらに大きくなる。

もちろん、医学の歴史において、合理的で蓋然性が高いと思われていた仮説が間違っていたことはよくある。たとえば、不整脈を予防しようとしてかえって死亡が増えたという事例がある。心筋梗塞を起こした患者さんは致死的な不整脈で亡くなることが多い。不整脈を減らす薬を使えば患者さんの予後は良くなるという推測は合理的だが、実際に比較試験を行うとかえって実薬群で死亡が増えた*4

HPVワクチンが子宮頸がんを防がないという可能性はあった。たとえば、ワクチンが高リスク型HPVの感染を予防してもその代わりに別のタイプのHPVが感染し、期待ほどは予防効果が発揮できなかったかもしれなかった(ウイルス型置換)。また、参加者が厳しい基準によって選ばれている臨床試験とは異なり、そうした基準を満たさない対象者も多数混じる実際の臨床の現場(リアルワールド)においては臨床試験ほどには効果を発揮できなかったかもしれなかった。

それから…、と言いはじめると、HPVワクチンが子宮頸がんを防がない理論的な可能性はいくつもある。しかし、そうした懸念は払拭されつつある。リアルワールドにおいて、ウイルス型置換は明確ではなく、むしろワクチンがカバーしていないタイプのHPV感染を防ぐ効果(交差免疫)が不完全ながらあるらしいことが観察されつつある*5。前がん病変も減っている。HPVワクチンが子宮頸がんを防がないという可能性はあったものの、その可能性はさまざまな研究、新しい証拠によってどんどん小さくなっている。直接的な証拠はいまだ限定的であるものの、期待通り、HPVワクチンが子宮頸がんを防ぐことが明らかになりつつある、というのが現状だ。そこで、冒頭の問題提起に戻るとする。子宮頸がんを減らすという直接的な証拠がないからといって、HPVワクチン導入を行うことは果たして人体実験だと言えるのか。

仮の話として、日本がHPVワクチンを定期接種していなかったと仮定しよう。海外ではどんどん定期接種化される。WHOもCDCも接種を推奨している。国境なき医師団のような医療系NGOも発展途上国でHPVワクチンを接種する。日本でも、情報にアクセスでき対価を払うことのできる人達が自費でHPVワクチンを受けるだろうが、そのような人たちは一握りだ。多くの人はそのようなワクチンの情報は知らされないし、知っても高価過ぎて受けることができない。

諸外国においてワクチンのおかげで子宮頸がんにならずに済んだ人が多く観察できた時点で、「子宮頸がんを減らすという直接的な証拠が出そろったので、日本でもHPVワクチンを定期接種にします」と政府が決定する。もっと早くに定期接種化していれば、HPVに感染しなかった人、前がん病変にならなかった人、子宮頸がんにならなかった人、子宮頸がんで死なずに済んだ人がいたはずなのに。海外で公的機関が推奨している医療行為をお金持ちだけ受けることができる状況は、はたして社会正義にかなうことなのか。格差を縮める役割を果たすのが政治ではないのか。

医療には不確実性が伴う。過去の薬害の教訓を踏まえ、新しい医療の導入に慎重になることもやむを得ない。代理指標だけで効果を期待すると失敗することもある。一方で慎重になりすぎると救える人も救えない。そこにはトレードオフがある。HPVワクチンの現状について十分に情報を吟味した上で反対するという立場もあるだろう。そのような立場の人と私は意見を異にするが、建設的な議論はできる。しかし、よく知らないのに「予防効果が証明されていないのに定期接種にした。人体実験してんじゃねーよ」といった雑な主張を行うのは、あまりにも無責任じゃないか。

なお、HPVワクチンを接種していても子宮頸がん検診は必要である。ワクチンがカバーしていないタイプのウイルスもあるし、ワクチンのHPV感染予防効果は100%だとは言えないからだ。「どうせ検診を受けなければならないのならHPVワクチンは不要だ」との意見もよく見られるが誤りである。検診でも子宮頸がんを100%防げるわけではないし、検診そのものや前がん病変の治療に一定の害があるからだ。ワクチンと検診の併用が、世界標準の子宮頸がん予防法である。


「謎水装置」から学ぶニセ医学の手口

「謎水装置」は血中酸化ストレスを減少させると主張されている

「株式会社日本システム企画」が製造販売する、配管内の赤錆を黒錆に変えて赤水を解消する効果があると称する「NMRパイプテクター」という商品がある。福岡市営地下鉄に広告が出ているのを見たことがある。さて、私も寄稿した『RikaTan(理科の探検)』 2019年4月号において、京都女子大学名誉教授(理学博士)である小波秀雄氏によるNMRパイプテクターに対する批判が掲載された。現時点(2019年9月18日)では以下のリンク先で読める。



■「謎水装置」NMRパイプテクターに翻弄される人々



「物理的には何の意味もないガラクタでしかない」とバッサリだ。私は医学系の人間であるので、赤水解消効果についてではなく、生物学・医学関連の考察を試みたい。すでに医学的な考察は以下にリンクする「五本木クリニック | 院長ブログ」で行われているが、私は違った角度から。



■NMRパイプテクターの原理を応用した謎の「血液還元装置」を買ったエステサロン・鍼灸院の方、その後のご様子はいかがでしょうか? | 五本木クリニック | 院長ブログ



この「謎水装置」は、赤水を解消するだけではなく、「金魚を育てると大きくなる」*1「カイワレの発芽率が高くなる」*2といった効果が主張されている。そのうちの一つ、「血中酸化ストレスが減少する」という効果を検証してみよう。

「血中酸化ストレスが減少する」と主張する根拠として、日本システム企画のウェブサイトには「Yubi-MR による特殊電磁波の指への照射と帯電した水からの電子の作用による血中の酸化ストレスの減少効果」とするPDFがある*3。「NMRパイプテクターと同じ装置」であるYubi-MRという装置は「特殊な電磁波を指に照射すること」によって血中の酸化ストレスを抑制するのだそうだ。「特殊な電磁波」が具体的に何かはPDFには記載されていないし、エネルギー源もよくわからないが、まあそれはよしとしよう。メカニズムが不明であっても、臨床的に効果が証明されていれば、それは医学的に有用である。しかしながら以下に述べる理由によって、「謎水装置」は臨床的に効果は証明されていない。

「謎水装置」が血中酸化ストレスを減少させるとは言えない理由

PDFで提示されている実験では、9人の被験者に対し、d-ROMという指標を用いて測定された酸化ストレスを装置が減少させたと主張されている。しかしながら、この実験だけでは装置が「血中酸化ストレスを減少させる」というには不十分で、ましてや「疾病の治療の効果が期待できる」とは言えない。第一のポイントは前後比較という点である。装置がまったく血中酸化ストレスに影響しないとしても、時間経過だけで検査値が変わることはありうる。たとえば、場に慣れて緊張が緩んだことが影響したのかもしれない。検体を採取してから測定するまでの時間が影響したのかもしれない。

時間経過の影響をコントロールするわかりやすい方法の一つが並行群間での比較だ。被験者をランダムに二群に分けて、介入群には「特殊な電磁波を指に照射」し、対照群は照射せずにおいて、その変化を比べるのだ。できれば対照群ではダミーの装置で被験者には「照射されたつもり」になってもらうのが望ましいし(単盲検)、試験者も本物かダミーか知らない状態で検査をするのがなおよい(二重盲検)。

採血が3回になってしまうが、クロスオーバー試験を行うと検出力が上がる。A群は採血→実装置→採血→ダミー装置→採血、B群は採血→ダミー装置→採血→実装置→採血という手順を取る。いずれにせよ、非盲検の前後比較だけでは「血中酸化ストレスを減少させる」とは言えない。

「疾病の治療の効果が期待できる」なら臨床試験で効果を示すべき

第二のポイントは、Yubi-MRなる装置がd-ROMという指標を用いて測定された酸化ストレスを減少させるのがよしんば事実だとして、それが健康に寄与するかどうかは別問題だということだ。短時間だけわずかな酸化ストレスの減少があったとしても臨床的には意味がないかもしれない。「酸化ストレスが原因の疾病の治療の効果が期待できる」のなら、実際に酸化ストレスが原因の疾病の患者さんを対象とした臨床試験を行うべきだ。

(私はこの装置は生体にほとんど何も影響を与えないと考えているが、私の予想とは異なり)有意な酸化ストレス減少をもたらすとすると、何か健康上の悪影響が起きるかもしれない。「酸化ストレスが減少するなら健康に悪影響があるわけない」とお考えの方もいるかもしれないが大きな誤りだ。人体における抗酸化作用は複雑で、抗酸化作用のあるベータカロテンのサプリメントが、期待に反して、肺がんを増やしたという研究もあるぐらいだ*4

それにd-ROMで評価した酸化ストレスはあくまで代理指標だ。検査値(代理指標)と、症状が改善したり死亡を減らしたりすること(患者中心のアウトカム)は別である。有名な事例として、心血管リスクの高い糖尿病患者に対して、より厳密な血糖コントロールを目指した方が、標準的な治療と比べて、死亡率が高かったという研究(ACCORD試験)がある*5。代理指標は改善したが患者中心のアウトカムが悪化したという事例だ。

こうした教訓を踏まえると、「酸化抑制効果」が事実であったとしても、Yubi-MRなる装置が健康に寄与するとは必ずしも言えないし、害がある可能性もある。健康にプラスの作用だけあって「副作用の心配がない」*6といった都合のよいものは存在しない。より多くの人を対象に臨床試験を行い、代理指標だけでなく患者中心のアウトカムを測定するまでは、臨床的に有用かどうかわからない。また、副作用がないというためには、対照群と比べて有害事象の頻度が変わらないことを示す必要がある*7

「謎水装置」の臨床試験は行われていない

むろん、いきなりそういう臨床試験をやれと言っているのではない。まずはコストの安い、小規模・非盲検の前後比較試験を行うのは合理的だ。ただ、装置に真に効果があると日本システム企画が信じているのであれば、さらなる研究を行って効果を証明する努力を行うはずだ。一方で、装置さえ売れればいい、金儲けがしたいだけならば、追加の研究はしないほうがいい。追試で効果が否定されればヤブヘビだからだ。小規模の予備的な実験だけでエビデンスが不在のまま「商品化を本格的に推進」し、「市場浸透を急ぐ」*8であろう。学会発表だけは行って論文は書かない。

小規模な実験で有意差を出すのはそれほど難しくない。装置にまったく効果がなくても、何度も実験を繰り返せばそのうちに偶然に有意差が出る。一回の実験で多くの指標を測定すればなお有意差が出やすい。有意差が出なかった指標は報告しなければいいだけだ。こうしたズルを防ぐために臨床試験登録システムがある。Yubi-MR、NMR-Pipetectorといったワードで検索してみたが登録されたものは発見できなかった(2019年9月18日時点)。

今後、「謎水装置」がなんらかの医学的な作用を示した、という研究が発表されるかもしれないが、そのときは事前に臨床試験登録がなされているかどうかを調べてみよう。未登録ならば、何度も実験を繰り返して都合のよい結果だけ発表したかもしれないと疑った方がいい。

ニセ医学の手口のおさらい

「証明が不十分のまま効果効能を謳い製品を販売する」「小規模で質の低く、事前登録されていない研究のみ」「代理指標しか測定していないのに患者中心のアウトカムの改善を謳う」「学会発表のみで論文を書かない」「動物実験の結果を安易にヒトに外挿する」*9「根拠なく副作用の心配がないと主張する」「臨床試験に消極的」というのはニセ医学の典型的な手口だ。古典的といってもいい。近年は、臨床試験登録を患者を信用させる手段に用いる、査読の緩い雑誌に論文を投稿する、といった巧妙な手段もあるが、まずは基本にたちかえりたい。


*1:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/3-103_Kingyozikken2003128.pdf

*2:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/3-92_KaowareZikken20031.pdf

*3:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/attention/attention201809_004.pdf

*4:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8127329

*5:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18539917

*6:URL:http://www.jspkk.co.jp/news/pdf/fujisankeibusinessi101218.pdf

*7:厳密にはそれでも副作用がないとは言えない。副作用はないか、あっても検出できない程度には少ない、とまでしか言えない

*8:URL:http://www.jspkk.co.jp/news/pdf/fujisankeibusinessi101218.pdf

*9:「睡眠誘導に効果がある」と主張されているが根拠の提示はなく、強いて言えば「この装置からの特殊な電磁波の照射によって、マウスの活動時間の減少を確認することができた」ことぐらいしか、根拠らしきものは見当たらない