NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「謎水装置」から学ぶニセ医学の手口

「謎水装置」は血中酸化ストレスを減少させると主張されている

「株式会社日本システム企画」が製造販売する、配管内の赤錆を黒錆に変えて赤水を解消する効果があると称する「NMRパイプテクター」という商品がある。福岡市営地下鉄に広告が出ているのを見たことがある。さて、私も寄稿した『RikaTan(理科の探検)』 2019年4月号において、京都女子大学名誉教授(理学博士)である小波秀雄氏によるNMRパイプテクターに対する批判が掲載された。現時点(2019年9月18日)では以下のリンク先で読める。



■「謎水装置」NMRパイプテクターに翻弄される人々



「物理的には何の意味もないガラクタでしかない」とバッサリだ。私は医学系の人間であるので、赤水解消効果についてではなく、生物学・医学関連の考察を試みたい。すでに医学的な考察は以下にリンクする「五本木クリニック | 院長ブログ」で行われているが、私は違った角度から。



■NMRパイプテクターの原理を応用した謎の「血液還元装置」を買ったエステサロン・鍼灸院の方、その後のご様子はいかがでしょうか? | 五本木クリニック | 院長ブログ



この「謎水装置」は、赤水を解消するだけではなく、「金魚を育てると大きくなる」*1「カイワレの発芽率が高くなる」*2といった効果が主張されている。そのうちの一つ、「血中酸化ストレスが減少する」という効果を検証してみよう。

「血中酸化ストレスが減少する」と主張する根拠として、日本システム企画のウェブサイトには「Yubi-MR による特殊電磁波の指への照射と帯電した水からの電子の作用による血中の酸化ストレスの減少効果」とするPDFがある*3。「NMRパイプテクターと同じ装置」であるYubi-MRという装置は「特殊な電磁波を指に照射すること」によって血中の酸化ストレスを抑制するのだそうだ。「特殊な電磁波」が具体的に何かはPDFには記載されていないし、エネルギー源もよくわからないが、まあそれはよしとしよう。メカニズムが不明であっても、臨床的に効果が証明されていれば、それは医学的に有用である。しかしながら以下に述べる理由によって、「謎水装置」は臨床的に効果は証明されていない。

「謎水装置」が血中酸化ストレスを減少させるとは言えない理由

PDFで提示されている実験では、9人の被験者に対し、d-ROMという指標を用いて測定された酸化ストレスを装置が減少させたと主張されている。しかしながら、この実験だけでは装置が「血中酸化ストレスを減少させる」というには不十分で、ましてや「疾病の治療の効果が期待できる」とは言えない。第一のポイントは前後比較という点である。装置がまったく血中酸化ストレスに影響しないとしても、時間経過だけで検査値が変わることはありうる。たとえば、場に慣れて緊張が緩んだことが影響したのかもしれない。検体を採取してから測定するまでの時間が影響したのかもしれない。

時間経過の影響をコントロールするわかりやすい方法の一つが並行群間での比較だ。被験者をランダムに二群に分けて、介入群には「特殊な電磁波を指に照射」し、対照群は照射せずにおいて、その変化を比べるのだ。できれば対照群ではダミーの装置で被験者には「照射されたつもり」になってもらうのが望ましいし(単盲検)、試験者も本物かダミーか知らない状態で検査をするのがなおよい(二重盲検)。

採血が3回になってしまうが、クロスオーバー試験を行うと検出力が上がる。A群は採血→実装置→採血→ダミー装置→採血、B群は採血→ダミー装置→採血→実装置→採血という手順を取る。いずれにせよ、非盲検の前後比較だけでは「血中酸化ストレスを減少させる」とは言えない。

「疾病の治療の効果が期待できる」なら臨床試験で効果を示すべき

第二のポイントは、Yubi-MRなる装置がd-ROMという指標を用いて測定された酸化ストレスを減少させるのがよしんば事実だとして、それが健康に寄与するかどうかは別問題だということだ。短時間だけわずかな酸化ストレスの減少があったとしても臨床的には意味がないかもしれない。「酸化ストレスが原因の疾病の治療の効果が期待できる」のなら、実際に酸化ストレスが原因の疾病の患者さんを対象とした臨床試験を行うべきだ。

(私はこの装置は生体にほとんど何も影響を与えないと考えているが、私の予想とは異なり)有意な酸化ストレス減少をもたらすとすると、何か健康上の悪影響が起きるかもしれない。「酸化ストレスが減少するなら健康に悪影響があるわけない」とお考えの方もいるかもしれないが大きな誤りだ。人体における抗酸化作用は複雑で、抗酸化作用のあるベータカロテンのサプリメントが、期待に反して、肺がんを増やしたという研究もあるぐらいだ*4

それにd-ROMで評価した酸化ストレスはあくまで代理指標だ。検査値(代理指標)と、症状が改善したり死亡を減らしたりすること(患者中心のアウトカム)は別である。有名な事例として、心血管リスクの高い糖尿病患者に対して、より厳密な血糖コントロールを目指した方が、標準的な治療と比べて、死亡率が高かったという研究(ACCORD試験)がある*5。代理指標は改善したが患者中心のアウトカムが悪化したという事例だ。

こうした教訓を踏まえると、「酸化抑制効果」が事実であったとしても、Yubi-MRなる装置が健康に寄与するとは必ずしも言えないし、害がある可能性もある。健康にプラスの作用だけあって「副作用の心配がない」*6といった都合のよいものは存在しない。より多くの人を対象に臨床試験を行い、代理指標だけでなく患者中心のアウトカムを測定するまでは、臨床的に有用かどうかわからない。また、副作用がないというためには、対照群と比べて有害事象の頻度が変わらないことを示す必要がある*7

「謎水装置」の臨床試験は行われていない

むろん、いきなりそういう臨床試験をやれと言っているのではない。まずはコストの安い、小規模・非盲検の前後比較試験を行うのは合理的だ。ただ、装置に真に効果があると日本システム企画が信じているのであれば、さらなる研究を行って効果を証明する努力を行うはずだ。一方で、装置さえ売れればいい、金儲けがしたいだけならば、追加の研究はしないほうがいい。追試で効果が否定されればヤブヘビだからだ。小規模の予備的な実験だけでエビデンスが不在のまま「商品化を本格的に推進」し、「市場浸透を急ぐ」*8であろう。学会発表だけは行って論文は書かない。

小規模な実験で有意差を出すのはそれほど難しくない。装置にまったく効果がなくても、何度も実験を繰り返せばそのうちに偶然に有意差が出る。一回の実験で多くの指標を測定すればなお有意差が出やすい。有意差が出なかった指標は報告しなければいいだけだ。こうしたズルを防ぐために臨床試験登録システムがある。Yubi-MR、NMR-Pipetectorといったワードで検索してみたが登録されたものは発見できなかった(2019年9月18日時点)。

今後、「謎水装置」がなんらかの医学的な作用を示した、という研究が発表されるかもしれないが、そのときは事前に臨床試験登録がなされているかどうかを調べてみよう。未登録ならば、何度も実験を繰り返して都合のよい結果だけ発表したかもしれないと疑った方がいい。

ニセ医学の手口のおさらい

「証明が不十分のまま効果効能を謳い製品を販売する」「小規模で質の低く、事前登録されていない研究のみ」「代理指標しか測定していないのに患者中心のアウトカムの改善を謳う」「学会発表のみで論文を書かない」「動物実験の結果を安易にヒトに外挿する」*9「根拠なく副作用の心配がないと主張する」「臨床試験に消極的」というのはニセ医学の典型的な手口だ。古典的といってもいい。近年は、臨床試験登録を患者を信用させる手段に用いる、査読の緩い雑誌に論文を投稿する、といった巧妙な手段もあるが、まずは基本にたちかえりたい。


*1:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/3-103_Kingyozikken2003128.pdf

*2:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/3-92_KaowareZikken20031.pdf

*3:URL:http://www.jspkk.co.jp/img/attention/attention201809_004.pdf

*4:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8127329

*5:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18539917

*6:URL:http://www.jspkk.co.jp/news/pdf/fujisankeibusinessi101218.pdf

*7:厳密にはそれでも副作用がないとは言えない。副作用はないか、あっても検出できない程度には少ない、とまでしか言えない

*8:URL:http://www.jspkk.co.jp/news/pdf/fujisankeibusinessi101218.pdf

*9:「睡眠誘導に効果がある」と主張されているが根拠の提示はなく、強いて言えば「この装置からの特殊な電磁波の照射によって、マウスの活動時間の減少を確認することができた」ことぐらいしか、根拠らしきものは見当たらない

HPVワクチンをめぐる「ファクトロンダリング」

つくば市議会議員小森谷さやか氏による、ヒトパピローマウイルス(HPV)および子宮頸がんに関する誤った情報が訂正されないままでいる。


HPVワクチンによって恩恵を受ける人の推計は10万人あたり数百人というのがコンセンサス

まずはコンセンサスの得られている情報から紹介しよう。HPVの慢性感染は子宮頸がんの原因だ。HPVに感染しても多くは自然治癒するが、一部は前がん病変や子宮頸がんを引き起こす。HPVワクチンは高リスク型のHPVの感染や前がん病変を予防することが確認され、子宮頸がんも予防することが期待されている*1

もしかしたら「感染しても多くは自然治癒するならワクチン等の対策は不要だ」と考える方もいらっしゃるかもしれない。そのような方は、喫煙者の多くは肺がんにならないし、高血圧患者の多くは心筋梗塞にならないので、喫煙や高血圧に対する対策も不要だとお考えであろう。一定水準以上の医学的知識があれば、喫煙や高血圧と同じく、HPV感染対策が必要であることが理解できるはずだ。

対策にはコストもかかるし、なんらかの医療介入をすると副作用もあるので、HPV感染の害の程度を評価する必要がある。コストや副作用と比べてHPV感染の害のほうが小さければ対策はしないほうがいい。HPVの害はかなり正確に推定できる。日本における子宮頸がんの生涯罹患リスクは1%強(2014年の数字では1.275%、約78人に1人)、生涯死亡リスクは約0.3%(2017年の数字では0.301%、約332人に1人)*2。ワクチンで予防できる高リスク型HPVはそのうちの50~70%に寄与している。

厚生労働省は、ワクチンによる罹患予防効果は絶対リスクで0.60~0.86%、死亡予防効果は0.14~0.20%と見積もっている*3。10万人あたりにすると、HPVワクチン接種により595~859人が子宮頸がん罹患を回避でき、144~209人が子宮頸がん死を回避できるとしている。海外の推計でもだいたいそのくらいだ。これが専門家のコンセンサスである。前がん病変の予防はさらに多くの人が恩恵を受ける。


つくば市議会議員小森谷さやか氏による間違った主張

ところが、つくば市議会議員小森谷さやか氏は、「ワクチンで感染を防げる人の割合は0.007%、10万人に7人ほど」と主張している。医学的には完全に誤りだ。

■小森谷さやか ーつくば市議会議員 - ホームより引用。



つくば市民の方が小森谷議員の議会発言についての質問状を送付したところ、以下のような回答があった。



■HPVワクチンに関する質問状へのつくば・市民ネットワークからの回答と、それに対する私の返信|佐々木徹|note


[1] 「HPVワクチンは0.007%つまり10万人に7人にしか有効でない。」の発言について
 発言を正確に記述しますと次の通りです。
『計算上ですけれども、この子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれないのは、全体の0.007%、すなわち10万人当たり7人ほど、ということです。』
国会質疑において厚労省が示した数字を用いましたが、ご指摘のような断定的な言い方をしたとの誤解を与えてしまったとすれば、申し訳ないと思います。


厚生労働省が示してない数字を捏造

国会質疑というのは、はたともこ議員(当時)の質疑応答のことだ。小森谷議員の「厚労省が示した数字を用いました」という回答は虚偽である。正確には、政府参考人である厚生労働省健康局長(当時)・矢島鉄也氏の示した数字(これは「厚労省が示した数字」でよい)から、はたともこ氏が間違って解釈して出した数字である。はたともこ氏の誤りについては「ニセ医学」に騙されないためにでも指摘したが、いまだに、はたともこ氏が訂正したという話は聞かない。具体的に国会質疑の記録を引用してあらためて説明しよう。

第百八十三回国会参議院決算委員会会議録第一号(平成二十五年五月二十日) URL:
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/183/0015/18305200015001.pdf




「厚労省が示した数字」は細胞診正常女性のHPV16型、18型の検出割合がそれぞれ0.5%、0.2%合わせて0.7%、であって、10万人に7人という数字は厚労省は示していない。「日本の研究者が海外の医学系雑誌に投稿したもの」については特定できている*4。子宮頸部細胞診正常3249人中、16型陽性16人(0.5%)、18型陽性6人(0.2%)。3249人の年齢は18歳~85歳で、平均は52.4歳。

50歳超えの子宮頸部細胞診正常女性において高リスク型HPVの感染割合が低いのは当たり前だ。持続感染が続けば細胞診が異常になるからである。当該論文ではそれぞれの型のHPVのオッズ比が示されており、16型は534.6、18型は252.2である。HPVワクチンがカバーする型のHPVが子宮頸がんと強い関連を示しており、「子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれない」人が少ないという主張とはまったく真逆の研究だ。

「子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれない」人の数を推測したいのなら、高齢の子宮頸部細胞診正常女性の高リスク型HPVの感染割合の数字を使うのは不適当だ。ワクチンを接種する世代の女性が将来リスク型HPVに感染する割合の数字がわかっているのなら、その数字を使って推測できる。この数字を正確に知るには多くの若い女性のHPV感染状況を長期間継続して観察しなければならないので、だいたいのところしかわからない。数十%ぐらいだとされており*5、はたとこも氏と小森谷さやか氏の推計と100倍ぐらい違う。

そもそも子宮頸がん患者や死亡者における高リスク型HPVの感染割合の数字がわかっているのだから、そちらを使えばよい。それが冒頭に述べた「10万人あたり595~859人が子宮頸がん罹患を、144~209人が子宮頸がん死を回避できる」という数字である。やはり100倍ぐらい違う。

「10万人あたり850人としてもたったの0.85%だ。HPVワクチンの害は利益に見合わない」との主張もあるかもしれない。私は同意はしないが、そのような主張をするのは自由だ。それはそれとして、「10万人に7人にしか有効でない」という主張は誤りだし、厚生労働省が示したというのも間違いである。同様の誤りは2013年5月12日に出た「東京新聞こちら特報部」の記事にもある。実名・所属機関を明らかにした上で「東京新聞へのご意見・ご要望」として指摘するも、「いただきましたメールは担当の特報部へ申し伝えます」とだけしか返事が返ってきていない。東京新聞特報部は不誠実だ。そもそも、はたともこ氏も、東京新聞特報部も、小森谷さやか氏も、しかるべき専門家に確認すればこのような間違いを犯すこともなかったのだ。専門家に確認しなくても、子宮頸がんの生涯罹患リスクを知っていればこのような間違いはしない。


国会質疑を利用した「ファクトロンダリング」

これらの間違いはみな、はたともこ氏の国会質疑に由来する。国会を利用した、いわば「ファクトロンダリング」といえる。この手法を使えば嘘の主張に偽りのお墨付きを与えることが可能になる。たとえばこんな具合だ。



質問者:哺乳類は恒温動物か。また、哺乳類は肺呼吸か。簡潔にお答えください。

政府参考人:答弁いたします。哺乳類は恒温動物で、また、肺呼吸をしています。

質問者:ニワトリは恒温動物か。また、肺呼吸か。

政府参考人:ニワトリは恒温動物で、肺呼吸をしております。

質問者:哺乳類は恒温動物で肺呼吸である、また、ニワトリも恒温動物で肺呼吸だとのご答弁をいただきました。つまりニワトリは哺乳類ということになります。では、次の質問です…。


専門家から間違いの指摘があっても無視していればよい。新聞や地方議員が「国会質疑における政府参考人の回答を用いた」として「ニワトリは哺乳類だ」と主張し続けるだろう。そしてファクトに興味のない追随者が「ニワトリは哺乳類である主張を否定する答弁を政府参考人がしていないことも事実」などと思考を停止する。

はたともこ氏はたまたま野党議員であったが、同様の手法は与党だってできる。とくに官僚側が忖度する場合は容易だ。はたともこ氏の間違いを見逃すことは、将来、政府に都合のよい事実を与党が国会質疑でつくりだしても批判できないことになってしまうのではないか。


*1:2022年8月21日追記:この記事を書いて2022年時点までにHPVワクチンが浸潤子宮頸がんも予防することが複数の研究で示された

*2:国立がん研究センターがん情報サービスのウェブサイトによる

*3:https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/0000186462.pdf

*4:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15122519

*5:たとえば、Human papillomavirus (HPV) is a very common STD, with an estimated 80 percent of sexually active people contracting it at some point in their lives…, http://www.ashasexualhealth.org/stdsstis/hpv/fast-facts/. 80%というのは高リスク型に限らないのに注意。

検診で乳がんが発見された人が100人いたとして

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問題。 検診で乳がんが発見された人が100人いたとします。この100人の中で、がん検診のおかげで乳がんで死なずに済んだ人は、何人ぐらいでしょうか?


がん検診を行えば何かしら治療を要するがんが見つかる。しかし、がんを発見できること自体は、がん検診が有効であることを意味しない。「手術を要するがんが見つかってよかったのではないでしょうか」に代表されるような、がん検診に関する誤解はなかなか解けない。

マンモグラフィーによる乳がん検診は有効性が証明された数少ないがん検診の一つだが、その乳がん検診の大まかな効果の大きさを理解することで、がん検診一般についての理解も進むのではないか。そういうわけで冒頭のクイズである。もちろん、検診の対象者や乳がんの診断・治療法によってこの答えは変わってくるが、だいたい、大雑把にどれぐらいなのかを推測していただきたい。

現在の日本人のデータがあればいいのだが、残念ながら正確なデータはない。検診が乳がん死を減らしたことを示したスウェーデンで行われたランダム化比較試験、つまり、乳がん検診を受けた群と、受けなかった群をランダムに振り分けて長期間観察した研究をもとに解説する。検診で発見された乳がん患者のうち、追跡期間8.8年間で乳がんで亡くなったのは約3%だった。つまり、検診で乳がんが発見された人100人中、乳がんで亡くなるのは3人*1。ここで注意が必要なのは、残りの97人は検診のおかげで乳がん死を免れたと単純に考えてはいけないことだ。

というのも、検診を受けず、自覚症状を呈してから診断・治療されても間に合ったかもしれないからだ。検診を受けていない人が乳がんを発症しても100%乳がんで死ぬわけではない。検診のおかげで乳がん死を免れた人の数を知りたければ、検診群と対照群における乳がん死の差をみればいい。

この研究では、55歳~69歳の女性が検診群と対照群にそれぞれ約1万3000人ずつ振り分けられ、それぞれ35人、44人が乳がんで死亡した。大雑把に言えば、44 - 35 = 9人が、検診のおかげで乳がん死を避けられた。相対リスク減少では9 ÷ 44 = 0.20。検診によって乳がん死が約20%減る、というのは他の研究でもだいたい似たような数字である。検診しても乳がん死の80%は防げない。

検診で乳がんが発見されたのが282人なので、9 ÷ 282 =約3%が、検診のおかげで乳がん死を避けられた人の割合である。つまり、検診で乳がんが発見された人100人中、検診のおかげで乳がん死を避けられたのは3人だ。がん死が3人、助かったのが3人。じゃあ、残りの94人は?検診で発見されたがんは、以下の4通りに分類できる*2


1. 検診を受けても受けなくてもがんで死ぬ運命だった。…3人
2. 検診を受けたおかげでがんで死ぬことを避けられた。…3人
3. 検診を受けていなければいずれ症状が出てがんと診断される運命であったが、それからがんの治療をしても、がんで死ぬことはなかった。…?人
4. 治療を受けなくても一生涯症状が出ず、検診を受けていなければがんと診断されることもなかった。…?人



4.が、がん検診の疫学でいう過剰診断である*3。1.と2.はそれぞれ100人中3人ずつ。3.と4.の割合はどうだろう?

過剰診断の割合は、検診群と対照群をそれぞれ検診後に長期間のフォローアップすることで推定できる。この研究では15年間のフォローアップで検診群から780人、対照群から698人の乳がんが生じており、その差780 - 698 = 82人が過剰診断だ。検診で乳がんが発見されたのが282人なので、82 ÷ 282 = 約29%が過剰診断。検診で乳がんが発見された人が100人いたとしたら、その100人のうち、検診がなければ一生涯乳がんと診断されることがなかったのは29人だ。これも他の研究でもだいたい似たような数字である。残りの100 - 3 - 3 - 29 = 65人が、検診がなければいずれ症状が出て乳がんと診断されるが、それから治療しても乳がんで死ぬことはない人の数だ。

細かい数字は研究によって異なるが、過剰診断や予後が変わらない人の数と比べて、検診のおかげでがん死を免れる人の数がずっと小さいのは確かだ。有効性が確かめられている乳がん検診ですらこうなのだ。

しかしながら、有効性とは関係なく検診で発見されたがんの予後は良いため(この場合は100人中97人が乳がんでは死なない)、がん検診の有効性は過大に評価される。検診を受け、がんが発見され、治療を受け、再発もなければ、「検診で助けられた」と感じる。検診で発見されてもがん死した症例でさえ「もっと早く検診を受けていれば助かったかもれない」と思われてしまう。がん検診について考えるときには、直感的にはがん検診の効果を過大評価してしまう心の働きを自覚しなければならない。


まとめ。


答え。 研究によって差があるが、検診で乳がんが発見された人100人のうち、がん検診のおかげで乳がんで死なずに済む人は約3人。

検診にも関わらず乳がんで死ぬ人は約3人、過剰診断は約29人、検診によって乳がん死についての予後が変わらない人は約65人である。


参考:
Andersson I et al., Mammographic screening and mortality from breast cancer: the Malmö mammographic screening trial., BMJ. 1988 Oct 15;297(6654):943-8.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3142562

Zackrisson S et al., Rate of over-diagnosis of breast cancer 15 years after end of Malmö mammographic screening trial: follow-up study., BMJ. 2006 Mar 25;332(7543):689-92.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16517548

Independent UK Panel on Breast Cancer Screening., The benefits and harms of breast cancer screening: an independent review., Lancet. 2012 Nov 17;380(9855):1778-86.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23117178

予想されるFAQ(初級編)

Q. 症状が出てから治療しても乳がんで死なない65人は、早期に発見できた結果、手術範囲が小さくて済み身体的負担が小さいといった生活の質の改善という利益があるのではないですか?
A. 手術範囲が小さくて済んだかもしれないし、そうでないかもしれません。「検診のおかげで手術範囲が小さくて済んだ」と主張したいのであれば、対照群と比較するなどして検証する必要があります。一方で、がんの診断が早まることで病気である期間が延びて生活の質は低下する、という害は確実にあります。


Q. 仮に症状が出てから治療しても死なないがんだとしても、その治療にどういう問題があるのでしょうか?
A. 問題は大ありです。がんと診断されることは心理的な不安を招き、手術や抗がん剤治療は身体的な不利益を伴い、治癒切除できたとしても再発におびえながら生きていかなければなりません。乳がんの既往があると心疾患になりやすいという研究もあります。過剰診断ならもちろんのこと、いずれ症状が出るとしても予後が変わらないのなら、なるべく遅く診断したほうが害は小さいです。


Q. 外科医は確実にがんだと診断して手術をするはずなので、過剰診断は考えにくいのでは?
A. 確実にがんだと診断して手術しても過剰診断は起こります。切除した組織を手術後に病理学的に調べて確実にがんだと診断した症例の中にも、過剰診断は含まれます。


Q. 「生涯症状が出ないがん」を手術しているのであれば、重大な医療過誤だ。外科医を訴えるべきではないでしょうか?
A. がんだと診断した時点はもちろんのこと、治療したあとも個々の症例が過剰診断かどうかを判断することはできません。医療過誤がまったくなくても、過剰診断は起こります。


Q. 患者を診察することも、病理診断を検討することもせず、過剰診断だと主張することはできないのではないでしょうか?
A. むしろ、患者を診察したり、病理診断で検討したりしても、個別の症例が過剰診断かどうかは判断できません。患者を診察することで過剰診断かどうか判別できるのであれば、こんなに楽なことはありません。


Q. 検査後の対応が問題なのでは?慎重に治療すべき症例を選べばいいのでは?
A. 現在の医療技術では、がんだと診断した時点で過剰診断かどうかを判断することはできません。よって、「慎重に治療すべき症例を選ぶ」ことはできません。言い換えれば、慎重に治療すべき症例を選んでも過剰診断は起こります。


Q. 過剰診断だと主張したいのであれば、そのように考える方たちが手術を実施した現場の臨床医と議論して検証するのが筋ではないですか?
A. いいえ。過剰診断は疫学的な概念であり、現場の臨床医と議論して検証するような性質のものではありません。


Q. 参照した研究が古すぎる。新しい研究ではもっと検診の有効性が高くなるのでは?
A. 私が探した範囲内では、新しい研究でも似たり寄ったりで大きな差はありません。また、乳がんは治療法が進歩した結果、検診の有効性はむしろ相対的に小さくなった可能性があります。検診外で発見されても、よい治療ができ、がんで死ににくくなったからです。


Q. まるで近藤誠先生の「がんもどき理論」ですね。
A. 過剰診断と「がんもどき」は異なります。詳しくは■過剰診断と「がんもどき」の違いで説明しています。


Q. マンモグラフィーは放射線被ばくがあるから、そのせいで乳がんが増えるのでは?
A. 放射線被ばくによる発がんは理論的にはありえますが、あっても小さいですし、その影響が出るのは年月が経った後です。マンモグラフィーを用いた乳がん検診による害の大きさは、被ばくよりも過剰診断のほうがずっと大きいです。


Q. 検診を受けたおかげでがん死を避けられるがんだけを治療すればいいのでは?
A. 当たる宝くじだけを買って暮らしたいです。


Q. 名取宏は検診の害ばかり強調してけしからん。
A. 乳がん検診が乳がん死を抑制する利益があることを定量的に述べています。


Q. 名取宏は検診の利益ばかり強調してけしからん。
A. 乳がん検診に過剰診断をはじめとした害があることを定量的に述べています。


Q. 結局、どのがん検診を受ければいいのですか?
A. 公的に推奨されている検診を受けるのが無難です。たいてい、金銭的な補助もあります。『医師が教える 最善の健康法』に詳しく書きました。


予想されるFAQ(上級編)

Q. 検診にも関わらず乳がんで死ぬ人が3人、検診のおかげで乳がん死を免れる人が3人だとしたら、検診がなければ3 + 3 = 6人が乳がんで死ぬところ3人が助かるわけで、検診による乳がん死の相対リスク減少は20%ではなく50%になりませんか?

A. interval cancer(検診と検診の間に発見されるがん)を考慮する必要があります。検診群においても検診外で乳がんと診断される人もいます。そういうがんは成長が早いので予後が悪いです。検診で発見されたにも関わらず乳がんで死ぬ人3人あたり、検診群において検診外で乳がんが診断され乳がんで死ぬ人は約9人います。検診群では乳がんで3 + 9 = 12人が亡くなります。検診のおかげで乳がん死を免れる人が3人ですので、対照群ではさらに3人増えて12 + 3 = 15人が乳がんで亡くなります。12 ÷ 15 = 0.8が相対リスク、 1 - 0.8 = 0.2が相対リスク減少です。


Q. 検診による相対リスク減少が20%、検診で乳がんが発見された人ががんで亡くなるのは3%だとしたら、検診なしで乳がん死の割合が3.75%、生存率95%超ということになり、いくらなんでも生存率が良すぎではないでしょうか?
A. 「検診で乳がんが発見された人」はlength biasによって予後のよい人が多いです。検診群でも非検診発見例の予後は悪いです。また、対照群における乳がんの診断は447例、乳がん死は66例(66 ÷ 447 = 約15%)です。追跡期間の問題もあって、追跡期間後に乳がん死する例は数えられていません。


Q. 過剰診断の割合は10%と論文には書いてありますが?
A. それは分母が「追跡の全期間を通じて乳がんと診断された人」の場合です。他にも分母が「検診期間中に検診群において乳がんと診断された人(interval cancerを含む)」の場合もあります。「検診で乳がんが発見された人」は、検診と検診の間に診断された人や、検診期間の終了後に診断された人は含みません。


Q. Andersson(1988)のTable IIからは、「検診で乳がんが発見されたのが282人」にならないようですが?
A. Andersson(1988)のTable IIはAge at diagnosis(診断時の年齢)なので微妙にずれます。282人は2012年のLancet誌の論文のTable 4からです。引用します。過剰診断の割合が分母によって異なることも確認してください。

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乳がん検診における過剰診断の割合

Q. Andersson(1988)を読んだんですが、全体で差がないからといって、55歳未満と55歳以上に分けて解析するってアリなんですか?
A. 現代の基準で厳密に言えばspin(粉飾)だと思いますが、この時代にRCTで乳がん検診の有効性を検証しようとした試みは高く評価されるべきだと個人的には考えます。


Q. NNS(number needed to screen)はどれぐらいですか?
A. Andersson(1988)では、検診を受けたのが約1万3000人。検診で乳がん死を免れたのが9人。NNS(8.8年) = 約1400人だと思います。他の研究でもだいたいそれぐらいです。


Q. 以前にどこかで読んだのと微妙に違うような気がします。
A. いろいろです。たとえば、Jin J(JAMA, 2014, PMID: 25514316)は、50歳女性1万人が10年間マンモグラフィーを受けると、302人ががんと診断され、62人が検診を受けてもがん死し、10人ががん死を避け、57人が過剰診断され、173人が検診とは無関係にがん死しないとしています。ただこれはおそらく、interval cancerを含んでいます。図を引用いたします。検診のおかげでがんを避けられる人よりも、過剰診断や検診と無関係にがん死しない人のほうが多いことをご確認ください。また、本記事では省略した検診の害のうち、偽陽性(6130人)や結果的に不必要だった生検(940人)の膨大な数についても参照してください。

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50歳女性1万人が10年間乳がん検診を受けたら


Q. 腫瘍径や転移の有無で過剰診断かどうか判断できないのですか?
A. できません。ただ、腫瘍径が大きかったり転移していたりしている症例の方が過剰診断の可能性が小さい、というのは合理的な推測だと考えます。乳がんはいずれにせよ治療介入されてしまうので定量的な検証は困難だと思われます。


Q. 将来は個別に過剰診断かどうかを判断できる技術が開発されますか?
A. たとえば、複数の遺伝子発現を調べることで予後を予測することが試みられています。さすがに乳がんの場合はまったく治療介入しない、という選択肢はとりにくいでしょうが、低リスク症例に抗がん剤治療を省略するといったようなことは可能だと思います。


Q. 甲状腺がん検診のことを念頭においてこの記事を書かれたと思いますが、甲状腺がんの場合は監視療法という選択肢が取れますので、過剰診断は抑制できているのでは?
A. むしろ、監視療法という選択肢があること自体が、治療介入される甲状腺がんであっても相当な割合で過剰診断が含まれていることを示しています。監視療法されるかどうか当確ライン上の甲状腺がんの多くもしくはほとんどが過剰診断です。「監視療法を取れない乳がんであっても30%もの過剰診断が含まれるのであれば、甲状腺がんならなおさら多くの過剰診断が含まれている」と考えるべきです。


*1:長く観察すれば乳がん死はこれよりは多くなるが、あまり長期のデータを問題にしてもしかたがない。大事なのはおおまかな相場観

*2:論理的には検診を受けたせいでがんで死ぬということもないとは言えない。たとえば、原発巣を手術で切除すると転移巣が急に大きくなる症例がある。そっとしておけば転移巣もおとなしいままだったかもしれない。よしんば存在したとしてもきわめてまれなので論じない

*3:細かいことを言えば、症状が一生涯でないものでも、検診ではなく、別の病気の検査のときに偶然に見つかって診断されてしまうものも、過剰診断であるが、乳がんではそういう事例は少ないので論じない