NATROMのブログ

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検診で乳がんが発見された人が100人いたとして

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問題。 検診で乳がんが発見された人が100人いたとします。この100人の中で、がん検診のおかげで乳がんで死なずに済んだ人は、何人ぐらいでしょうか?


がん検診を行えば何かしら治療を要するがんが見つかる。しかし、がんを発見できること自体は、がん検診が有効であることを意味しない。「手術を要するがんが見つかってよかったのではないでしょうか」に代表されるような、がん検診に関する誤解はなかなか解けない。

マンモグラフィーによる乳がん検診は有効性が証明された数少ないがん検診の一つだが、その乳がん検診の大まかな効果の大きさを理解することで、がん検診一般についての理解も進むのではないか。そういうわけで冒頭のクイズである。もちろん、検診の対象者や乳がんの診断・治療法によってこの答えは変わってくるが、だいたい、大雑把にどれぐらいなのかを推測していただきたい。

現在の日本人のデータがあればいいのだが、残念ながら正確なデータはない。検診が乳がん死を減らしたことを示したスウェーデンで行われたランダム化比較試験、つまり、乳がん検診を受けた群と、受けなかった群をランダムに振り分けて長期間観察した研究をもとに解説する。検診で発見された乳がん患者のうち、追跡期間8.8年間で乳がんで亡くなったのは約3%だった。つまり、検診で乳がんが発見された人100人中、乳がんで亡くなるのは3人*1。ここで注意が必要なのは、残りの97人は検診のおかげで乳がん死を免れたと単純に考えてはいけないことだ。

というのも、検診を受けず、自覚症状を呈してから診断・治療されても間に合ったかもしれないからだ。検診を受けていない人が乳がんを発症しても100%乳がんで死ぬわけではない。検診のおかげで乳がん死を免れた人の数を知りたければ、検診群と対照群における乳がん死の差をみればいい。

この研究では、55歳~69歳の女性が検診群と対照群にそれぞれ約1万3000人ずつ振り分けられ、それぞれ35人、44人が乳がんで死亡した。大雑把に言えば、44 - 35 = 9人が、検診のおかげで乳がん死を避けられた。相対リスク減少では9 ÷ 44 = 0.20。検診によって乳がん死が約20%減る、というのは他の研究でもだいたい似たような数字である。検診しても乳がん死の80%は防げない。

検診で乳がんが発見されたのが282人なので、9 ÷ 282 =約3%が、検診のおかげで乳がん死を避けられた人の割合である。つまり、検診で乳がんが発見された人100人中、検診のおかげで乳がん死を避けられたのは3人だ。がん死が3人、助かったのが3人。じゃあ、残りの94人は?検診で発見されたがんは、以下の4通りに分類できる*2


1. 検診を受けても受けなくてもがんで死ぬ運命だった。…3人
2. 検診を受けたおかげでがんで死ぬことを避けられた。…3人
3. 検診を受けていなければいずれ症状が出てがんと診断される運命であったが、それからがんの治療をしても、がんで死ぬことはなかった。…?人
4. 治療を受けなくても一生涯症状が出ず、検診を受けていなければがんと診断されることもなかった。…?人



4.が、がん検診の疫学でいう過剰診断である*3。1.と2.はそれぞれ100人中3人ずつ。3.と4.の割合はどうだろう?

過剰診断の割合は、検診群と対照群をそれぞれ検診後に長期間のフォローアップすることで推定できる。この研究では15年間のフォローアップで検診群から780人、対照群から698人の乳がんが生じており、その差780 - 698 = 82人が過剰診断だ。検診で乳がんが発見されたのが282人なので、82 ÷ 282 = 約29%が過剰診断。検診で乳がんが発見された人が100人いたとしたら、その100人のうち、検診がなければ一生涯乳がんと診断されることがなかったのは29人だ。これも他の研究でもだいたい似たような数字である。残りの100 - 3 - 3 - 29 = 65人が、検診がなければいずれ症状が出て乳がんと診断されるが、それから治療しても乳がんで死ぬことはない人の数だ。

細かい数字は研究によって異なるが、過剰診断や予後が変わらない人の数と比べて、検診のおかげでがん死を免れる人の数がずっと小さいのは確かだ。有効性が確かめられている乳がん検診ですらこうなのだ。

しかしながら、有効性とは関係なく検診で発見されたがんの予後は良いため(この場合は100人中97人が乳がんでは死なない)、がん検診の有効性は過大に評価される。検診を受け、がんが発見され、治療を受け、再発もなければ、「検診で助けられた」と感じる。検診で発見されてもがん死した症例でさえ「もっと早く検診を受けていれば助かったかもれない」と思われてしまう。がん検診について考えるときには、直感的にはがん検診の効果を過大評価してしまう心の働きを自覚しなければならない。


まとめ。


答え。 研究によって差があるが、検診で乳がんが発見された人100人のうち、がん検診のおかげで乳がんで死なずに済む人は約3人。

検診にも関わらず乳がんで死ぬ人は約3人、過剰診断は約29人、検診によって乳がん死についての予後が変わらない人は約65人である。


参考:
Andersson I et al., Mammographic screening and mortality from breast cancer: the Malmö mammographic screening trial., BMJ. 1988 Oct 15;297(6654):943-8.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3142562

Zackrisson S et al., Rate of over-diagnosis of breast cancer 15 years after end of Malmö mammographic screening trial: follow-up study., BMJ. 2006 Mar 25;332(7543):689-92.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16517548

Independent UK Panel on Breast Cancer Screening., The benefits and harms of breast cancer screening: an independent review., Lancet. 2012 Nov 17;380(9855):1778-86.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23117178

予想されるFAQ(初級編)

Q. 症状が出てから治療しても乳がんで死なない65人は、早期に発見できた結果、手術範囲が小さくて済み身体的負担が小さいといった生活の質の改善という利益があるのではないですか?
A. 手術範囲が小さくて済んだかもしれないし、そうでないかもしれません。「検診のおかげで手術範囲が小さくて済んだ」と主張したいのであれば、対照群と比較するなどして検証する必要があります。一方で、がんの診断が早まることで病気である期間が延びて生活の質は低下する、という害は確実にあります。


Q. 仮に症状が出てから治療しても死なないがんだとしても、その治療にどういう問題があるのでしょうか?
A. 問題は大ありです。がんと診断されることは心理的な不安を招き、手術や抗がん剤治療は身体的な不利益を伴い、治癒切除できたとしても再発におびえながら生きていかなければなりません。乳がんの既往があると心疾患になりやすいという研究もあります。過剰診断ならもちろんのこと、いずれ症状が出るとしても予後が変わらないのなら、なるべく遅く診断したほうが害は小さいです。


Q. 外科医は確実にがんだと診断して手術をするはずなので、過剰診断は考えにくいのでは?
A. 確実にがんだと診断して手術しても過剰診断は起こります。切除した組織を手術後に病理学的に調べて確実にがんだと診断した症例の中にも、過剰診断は含まれます。


Q. 「生涯症状が出ないがん」を手術しているのであれば、重大な医療過誤だ。外科医を訴えるべきではないでしょうか?
A. がんだと診断した時点はもちろんのこと、治療したあとも個々の症例が過剰診断かどうかを判断することはできません。医療過誤がまったくなくても、過剰診断は起こります。


Q. 患者を診察することも、病理診断を検討することもせず、過剰診断だと主張することはできないのではないでしょうか?
A. むしろ、患者を診察したり、病理診断で検討したりしても、個別の症例が過剰診断かどうかは判断できません。患者を診察することで過剰診断かどうか判別できるのであれば、こんなに楽なことはありません。


Q. 検査後の対応が問題なのでは?慎重に治療すべき症例を選べばいいのでは?
A. 現在の医療技術では、がんだと診断した時点で過剰診断かどうかを判断することはできません。よって、「慎重に治療すべき症例を選ぶ」ことはできません。言い換えれば、慎重に治療すべき症例を選んでも過剰診断は起こります。


Q. 過剰診断だと主張したいのであれば、そのように考える方たちが手術を実施した現場の臨床医と議論して検証するのが筋ではないですか?
A. いいえ。過剰診断は疫学的な概念であり、現場の臨床医と議論して検証するような性質のものではありません。


Q. 参照した研究が古すぎる。新しい研究ではもっと検診の有効性が高くなるのでは?
A. 私が探した範囲内では、新しい研究でも似たり寄ったりで大きな差はありません。また、乳がんは治療法が進歩した結果、検診の有効性はむしろ相対的に小さくなった可能性があります。検診外で発見されても、よい治療ができ、がんで死ににくくなったからです。


Q. まるで近藤誠先生の「がんもどき理論」ですね。
A. 過剰診断と「がんもどき」は異なります。詳しくは■過剰診断と「がんもどき」の違いで説明しています。


Q. マンモグラフィーは放射線被ばくがあるから、そのせいで乳がんが増えるのでは?
A. 放射線被ばくによる発がんは理論的にはありえますが、あっても小さいですし、その影響が出るのは年月が経った後です。マンモグラフィーを用いた乳がん検診による害の大きさは、被ばくよりも過剰診断のほうがずっと大きいです。


Q. 検診を受けたおかげでがん死を避けられるがんだけを治療すればいいのでは?
A. 当たる宝くじだけを買って暮らしたいです。


Q. 名取宏は検診の害ばかり強調してけしからん。
A. 乳がん検診が乳がん死を抑制する利益があることを定量的に述べています。


Q. 名取宏は検診の利益ばかり強調してけしからん。
A. 乳がん検診に過剰診断をはじめとした害があることを定量的に述べています。


Q. 結局、どのがん検診を受ければいいのですか?
A. 公的に推奨されている検診を受けるのが無難です。たいてい、金銭的な補助もあります。『医師が教える 最善の健康法』に詳しく書きました。


予想されるFAQ(上級編)

Q. 検診にも関わらず乳がんで死ぬ人が3人、検診のおかげで乳がん死を免れる人が3人だとしたら、検診がなければ3 + 3 = 6人が乳がんで死ぬところ3人が助かるわけで、検診による乳がん死の相対リスク減少は20%ではなく50%になりませんか?

A. interval cancer(検診と検診の間に発見されるがん)を考慮する必要があります。検診群においても検診外で乳がんと診断される人もいます。そういうがんは成長が早いので予後が悪いです。検診で発見されたにも関わらず乳がんで死ぬ人3人あたり、検診群において検診外で乳がんが診断され乳がんで死ぬ人は約9人います。検診群では乳がんで3 + 9 = 12人が亡くなります。検診のおかげで乳がん死を免れる人が3人ですので、対照群ではさらに3人増えて12 + 3 = 15人が乳がんで亡くなります。12 ÷ 15 = 0.8が相対リスク、 1 - 0.8 = 0.2が相対リスク減少です。


Q. 検診による相対リスク減少が20%、検診で乳がんが発見された人ががんで亡くなるのは3%だとしたら、検診なしで乳がん死の割合が3.75%、生存率95%超ということになり、いくらなんでも生存率が良すぎではないでしょうか?
A. 「検診で乳がんが発見された人」はlength biasによって予後のよい人が多いです。検診群でも非検診発見例の予後は悪いです。また、対照群における乳がんの診断は447例、乳がん死は66例(66 ÷ 447 = 約15%)です。追跡期間の問題もあって、追跡期間後に乳がん死する例は数えられていません。


Q. 過剰診断の割合は10%と論文には書いてありますが?
A. それは分母が「追跡の全期間を通じて乳がんと診断された人」の場合です。他にも分母が「検診期間中に検診群において乳がんと診断された人(interval cancerを含む)」の場合もあります。「検診で乳がんが発見された人」は、検診と検診の間に診断された人や、検診期間の終了後に診断された人は含みません。


Q. Andersson(1988)のTable IIからは、「検診で乳がんが発見されたのが282人」にならないようですが?
A. Andersson(1988)のTable IIはAge at diagnosis(診断時の年齢)なので微妙にずれます。282人は2012年のLancet誌の論文のTable 4からです。引用します。過剰診断の割合が分母によって異なることも確認してください。

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乳がん検診における過剰診断の割合

Q. Andersson(1988)を読んだんですが、全体で差がないからといって、55歳未満と55歳以上に分けて解析するってアリなんですか?
A. 現代の基準で厳密に言えばspin(粉飾)だと思いますが、この時代にRCTで乳がん検診の有効性を検証しようとした試みは高く評価されるべきだと個人的には考えます。


Q. NNS(number needed to screen)はどれぐらいですか?
A. Andersson(1988)では、検診を受けたのが約1万3000人。検診で乳がん死を免れたのが9人。NNS(8.8年) = 約1400人だと思います。他の研究でもだいたいそれぐらいです。


Q. 以前にどこかで読んだのと微妙に違うような気がします。
A. いろいろです。たとえば、Jin J(JAMA, 2014, PMID: 25514316)は、50歳女性1万人が10年間マンモグラフィーを受けると、302人ががんと診断され、62人が検診を受けてもがん死し、10人ががん死を避け、57人が過剰診断され、173人が検診とは無関係にがん死しないとしています。ただこれはおそらく、interval cancerを含んでいます。図を引用いたします。検診のおかげでがんを避けられる人よりも、過剰診断や検診と無関係にがん死しない人のほうが多いことをご確認ください。また、本記事では省略した検診の害のうち、偽陽性(6130人)や結果的に不必要だった生検(940人)の膨大な数についても参照してください。

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50歳女性1万人が10年間乳がん検診を受けたら


Q. 腫瘍径や転移の有無で過剰診断かどうか判断できないのですか?
A. できません。ただ、腫瘍径が大きかったり転移していたりしている症例の方が過剰診断の可能性が小さい、というのは合理的な推測だと考えます。乳がんはいずれにせよ治療介入されてしまうので定量的な検証は困難だと思われます。


Q. 将来は個別に過剰診断かどうかを判断できる技術が開発されますか?
A. たとえば、複数の遺伝子発現を調べることで予後を予測することが試みられています。さすがに乳がんの場合はまったく治療介入しない、という選択肢はとりにくいでしょうが、低リスク症例に抗がん剤治療を省略するといったようなことは可能だと思います。


Q. 甲状腺がん検診のことを念頭においてこの記事を書かれたと思いますが、甲状腺がんの場合は監視療法という選択肢が取れますので、過剰診断は抑制できているのでは?
A. むしろ、監視療法という選択肢があること自体が、治療介入される甲状腺がんであっても相当な割合で過剰診断が含まれていることを示しています。監視療法されるかどうか当確ライン上の甲状腺がんの多くもしくはほとんどが過剰診断です。「監視療法を取れない乳がんであっても30%もの過剰診断が含まれるのであれば、甲状腺がんならなおさら多くの過剰診断が含まれている」と考えるべきです。


*1:長く観察すれば乳がん死はこれよりは多くなるが、あまり長期のデータを問題にしてもしかたがない。大事なのはおおまかな相場観

*2:論理的には検診を受けたせいでがんで死ぬということもないとは言えない。たとえば、原発巣を手術で切除すると転移巣が急に大きくなる症例がある。そっとしておけば転移巣もおとなしいままだったかもしれない。よしんば存在したとしてもきわめてまれなので論じない

*3:細かいことを言えば、症状が一生涯でないものでも、検診ではなく、別の病気の検査のときに偶然に見つかって診断されてしまうものも、過剰診断であるが、乳がんではそういう事例は少ないので論じない

「血圧が高いと心筋梗塞になりやすい」と、どのような方法でわかったのか?世界中の命を救った研究

『医師が教える 最善の健康法』が、本日、2019年6月24日に発売されます。

ブログと書籍の大きな違いとして、書籍は編集者によっても手が入りブラッシュされる点があります。ブログは書きたいことを字数制限を気にせずに書けるという気楽さがある一方、書籍は編集者によるチェックが入るぶんだけ質の向上が見込めます。内容や表現について何度もやり取りいたしました。分量の調節や前後の入れ替えなどによっても読みやすくなっていると思います。

ただ、その過程で、どうしても本書に入りきれなかった項目がいくつかあります。古典的なコホート研究である「フラミンガム研究」の紹介がその一つです。いまでは当たり前になっている「高血圧は心疾患のリスク因子である」といった医学的事実がどのようにわかってきたかの解説です。加えて、「症状がなくてもリスク因子を持つ人に介入して将来の疾病を予防しよう」という考え方のはじまりでもありました。パラダイムシフトといっていいでしょう。

私の記憶だけで文献で確認できませんでしたので本文には書きませんでしたが、フラミンガムの患者さんが他の地域で診察を受けたとき、患者がフラミンガム出身だと知られると、医師から握手を求められ感謝の言葉を述べられたこともあったと聞きます。フラミンガム研究に協力してくださった住民たちは医師から尊敬と感謝を集めています。世界中の心臓病の患者さんの命を救った大規模コホート研究、それがフラミンガム研究です。以下では、『医師が教える 最善の健康法』に入るはずだったフラミンガム研究のくだりを掲載します。


フラミンガム研究とその発展

さて、「血圧が高いと心筋梗塞になりやすいかどうか」はどうしたらわかるでしょうか? 心筋梗塞の患者さんをたくさん集めて血圧を測って、健康な人と比べてもわかりませんよ。血圧が高いせいで心筋梗塞になったのか、それとも心筋梗塞になったせいで血圧が高いのか区別できないからです。

高血圧が心筋梗塞の原因になるかどうかは、ある時点で心筋梗塞になっていない人のうち、<血圧が高い人>と<血圧が高くない人>をたくさん集めて一定の期間追跡し、それぞれの集団から心筋梗塞がどのくらい発症するかを数えて比較すればわかります。そう、コホート研究です。

1948年に開始された「フラミンガム研究」は、最も成功したコホート研究の一つです(※1)。アメリカ合衆国のマサチューセッツ州の町・フラミンガムの住人(28~62歳)約5000人を対象に、喫煙習慣、血圧、コレステロール値などを測定し、長期間に渡って追跡調査しました。その結果、喫煙、高血圧、高コレステロール血症、糖尿病などの危険因子を持つ人からは心筋梗塞(冠動脈疾患)が多く発症することが観察されました。また、心筋梗塞だけでなく脳血管障害も増えることが確認されました。こうした危険因子が動脈硬化を悪化させ様々な病気を起こすことを今では誰もが知っているのは、フラミンガム研究をはじめとしたコホート研究のおかげです。なお、フラミンガム研究は現在も続けられ ています。

高血圧に対する降圧薬投与が心筋梗塞を予防する効果があるかどうかは、別に検証する必要があります。1960年代の高血圧のランダム化比較試験では、大変に顕著な効果が観察されました(※2)。拡張期血圧が115~129mmHgの男性143人をランダムに介入群(降圧薬)と対照群(プラセボ)に分け約1年半間観察したところ、死亡・脳出血・高血圧性網膜症・心不全といったイベントが、介入群には2例、対照群には27例起きました。現在の基準からは拡張期血圧120mmHg前後というのはかなり重症の高血圧です。いまではこのような重症の高血圧に対してプラセボを投与する群を設定する臨床試験は倫理的に許されません。

その後、高血圧の治療法はどんどん進歩しています。コホート研究といった観察研究で危険因子を発見し、ランダム化比較試験で治療法を検証する方法で様々な病気が予防され、多くの人の命を救いました。どのくらいの高血圧に対してどのくらい血圧を下げればいいのか、どのような種類の降圧薬がいいのか、高齢者ではどうか、糖尿病の患者さんではどうかなど、たくさんの臨床試験が行われて検証されています。初期の頃と違って、軽症の高血圧に対する効果を検証しますので、何万人もの人を長期間追跡する大規模な研究が必要になっています。

※1 フラミンガム研究
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24084292

※2 1967年の高血圧に対するランダム化比較試験
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4862069


『医師が教える 最善の健康法』の「はじめに」

2019年6月24日発売の『最善の健康法』の「はじめに」を公開いたします。

はじめに

 昔から長寿は人類の憧れでした。もちろん、ただ長生きするだけではなく、健康でいられることも条件です。かなり多くの方が健康で長生きしたいと願っているのではないでしょうか。私も健康で長生きしたいと思っています。
 しかし、「どうすれば健康で長生きできるか」という問いに答えるのは難しいことです。私は内科医ですから、病気の人を診るのは慣れています。しかし、病気のない人が健康で長生きする方法というのは、内科学からは少し外れます。
 まず思いつくのは、健康で長生きしている人の生活習慣を真似ること。ただ、一人や数人では心もとないです。タバコを吸っていても長生きする人はいます。不健康な生活をしていても、運よく長生きしているだけかもしれません。では、たくさんの人に聞けばいいでしょうか。日本の高齢者は口をそろえて「昔は食べ物もロクになかったし、ワクチンや抗菌薬もなかった」と言うかもしれません。だからといって子どもの食事を制限し、医療を受けさせないほうがいいとは言えません。栄養状態が悪く医療も不十分だった時代には、子どもがたくさん死んでいました。丈夫な人たちが生き残って体験を話す、という偏りが生じているのです。
 偏りが生じにくいように他の条件が似た人をたくさん集め、どのような特徴を持っていると病気になりやすいのかを調べる「疫学」という学問があります。私たちがタバコは体に悪いことを知っているのは、他の条件がほぼ同じであれば、タバコを吸っていない人たちに比べて、吸っているという特徴を持っている人たちのほうが肺がんになりやすく、早死にしやすいことを証明した疫学研究のおかげです。
 本書では、原則として医学論文として発表された疫学研究や公的機関が定めたガイドラインを参考にしました。人間の集団を対象とした研究では、対象者や研究方法によって、結果は少しずつ異なります。その中で、なるべく日本人のデータを優先しました。また、できる限り、検査値などの間接的な指標ではなく、死亡や病気の発症といった生存や生活の質を評価した研究を参照しています。そうすることで、根拠のある「最善」を目指しました。
 健康情報は巷にあふれています。インターネットでも書店でも、健康や長寿のための情報はいくらでも手に入ります。でも、疫学研究ではなく、個人的な経験や思い込みに基づく情報のほうが多いでしょう。中には効果に乏しいだけでなく、逆に害がありそうなものも散見されます。そうした根拠に乏しい健康法をわざわざ手間や時間やお金をかけて行うのは馬鹿らしいことです。どうせやるなら、根拠があるものをやりましょう。
 根拠の有無以外にも大切なポイントがあります。ラクにできるかどうかです。ひどくつらい思いをして健康になるのは、割に合いません。どのようなことを、どのくらいつらいと思うのかには個人差があります。「少量の飲酒は体によい」というのは疑わしく、健康や長寿だけを考えるなら飲まないほうがいいかもしれませんが、私にとってお酒をやめることはつらいことです。人によってはタバコをやめるのはつらいと感じる人もいるでしょう。そこは、害の大きさとつらさを天秤にかけてください。コンセプトは「できることを無理なくやる」です。
 本書に書かれている健康法を実践しさえすれば、誰もが健康で長生きできるわけではありません。人間の健康状態や寿命は、誰にも予測できないからです。この本に書かれている健康法を完璧にこなしても、運が悪いと早死にします。例えば、膵臓がんのリスク因子である喫煙や大量飲酒を避けるのは有効ですが、それでも膵臓がんになるときはなります。つまり死ぬときは死にます。だいたい病気にならなくても、事故で死ぬことだってあるのです。
 ただ、だからといって何の努力もせずに諦めるのは極端でしょう。一つひとつの健康法には、健康と長寿の確率をほんの少し上げる程度の効果しかありませんが、それでも小さな効果を積み重ねれば、大きな結果が得られるかもしれません。本書が、みなさんの健康と長寿に役立つことを、みなさんが幸運にも健やかに長生きされることを祈っています。