NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

『医師が教える 最善の健康法』の「はじめに」

2019年6月24日発売の『最善の健康法』の「はじめに」を公開いたします。

はじめに

 昔から長寿は人類の憧れでした。もちろん、ただ長生きするだけではなく、健康でいられることも条件です。かなり多くの方が健康で長生きしたいと願っているのではないでしょうか。私も健康で長生きしたいと思っています。
 しかし、「どうすれば健康で長生きできるか」という問いに答えるのは難しいことです。私は内科医ですから、病気の人を診るのは慣れています。しかし、病気のない人が健康で長生きする方法というのは、内科学からは少し外れます。
 まず思いつくのは、健康で長生きしている人の生活習慣を真似ること。ただ、一人や数人では心もとないです。タバコを吸っていても長生きする人はいます。不健康な生活をしていても、運よく長生きしているだけかもしれません。では、たくさんの人に聞けばいいでしょうか。日本の高齢者は口をそろえて「昔は食べ物もロクになかったし、ワクチンや抗菌薬もなかった」と言うかもしれません。だからといって子どもの食事を制限し、医療を受けさせないほうがいいとは言えません。栄養状態が悪く医療も不十分だった時代には、子どもがたくさん死んでいました。丈夫な人たちが生き残って体験を話す、という偏りが生じているのです。
 偏りが生じにくいように他の条件が似た人をたくさん集め、どのような特徴を持っていると病気になりやすいのかを調べる「疫学」という学問があります。私たちがタバコは体に悪いことを知っているのは、他の条件がほぼ同じであれば、タバコを吸っていない人たちに比べて、吸っているという特徴を持っている人たちのほうが肺がんになりやすく、早死にしやすいことを証明した疫学研究のおかげです。
 本書では、原則として医学論文として発表された疫学研究や公的機関が定めたガイドラインを参考にしました。人間の集団を対象とした研究では、対象者や研究方法によって、結果は少しずつ異なります。その中で、なるべく日本人のデータを優先しました。また、できる限り、検査値などの間接的な指標ではなく、死亡や病気の発症といった生存や生活の質を評価した研究を参照しています。そうすることで、根拠のある「最善」を目指しました。
 健康情報は巷にあふれています。インターネットでも書店でも、健康や長寿のための情報はいくらでも手に入ります。でも、疫学研究ではなく、個人的な経験や思い込みに基づく情報のほうが多いでしょう。中には効果に乏しいだけでなく、逆に害がありそうなものも散見されます。そうした根拠に乏しい健康法をわざわざ手間や時間やお金をかけて行うのは馬鹿らしいことです。どうせやるなら、根拠があるものをやりましょう。
 根拠の有無以外にも大切なポイントがあります。ラクにできるかどうかです。ひどくつらい思いをして健康になるのは、割に合いません。どのようなことを、どのくらいつらいと思うのかには個人差があります。「少量の飲酒は体によい」というのは疑わしく、健康や長寿だけを考えるなら飲まないほうがいいかもしれませんが、私にとってお酒をやめることはつらいことです。人によってはタバコをやめるのはつらいと感じる人もいるでしょう。そこは、害の大きさとつらさを天秤にかけてください。コンセプトは「できることを無理なくやる」です。
 本書に書かれている健康法を実践しさえすれば、誰もが健康で長生きできるわけではありません。人間の健康状態や寿命は、誰にも予測できないからです。この本に書かれている健康法を完璧にこなしても、運が悪いと早死にします。例えば、膵臓がんのリスク因子である喫煙や大量飲酒を避けるのは有効ですが、それでも膵臓がんになるときはなります。つまり死ぬときは死にます。だいたい病気にならなくても、事故で死ぬことだってあるのです。
 ただ、だからといって何の努力もせずに諦めるのは極端でしょう。一つひとつの健康法には、健康と長寿の確率をほんの少し上げる程度の効果しかありませんが、それでも小さな効果を積み重ねれば、大きな結果が得られるかもしれません。本書が、みなさんの健康と長寿に役立つことを、みなさんが幸運にも健やかに長生きされることを祈っています。

新刊『医師が教える 最善の健康法』出ます

『医師が教える 最善の健康法』という本を書きました。内外出版社から2019年6月24日に発売です。

いまアマゾンの紹介文を読んだら、「前著『「ニセ医学」に騙されないために』で「ニセ医学」という言葉を世に定着させた内科医が、たくさんの世界的に認められた論文やガイドラインを丹念に読み、食事や睡眠、飲酒、検診、運動のことなど、健康で長生きする確率をあげるための最善の健康法を1冊にまとめました」と書いてありました*1。「ニセ医学」という言葉を世に定着させたのだそうですよ。

前著『「ニセ医学」に騙されないために』も、とても気に入っていて、良い評価もいただいたのだけれども、ニセ医学を批判するだけでは不十分なのは明らかです。誤った医学情報に反対するだけでなく、適切な医学情報を積極的に提供することもまた、重要です。ただ、適切な医学情報について書くといっても、これがなかなかたいへんでした。前著では「これはいくらなんでも真っ黒」という事例ばかりを扱ったので、ある意味、楽でした。一方で、適切な医学情報はどうでしょう。堅いところで、禁煙しましょうとか、お酒の飲みすぎは良くないとかです。ここまではよろしい。

では、適切な飲酒量はどうでしょうか。J字カーブといって、横軸に飲酒量、縦軸に健康リスク(たとえば全死亡率)をとってプロットすると、飲酒量が多すぎるとリスクが高いのは当然ですが、まったくの飲酒量ゼロでも若干リスクが高くなることが観察できる研究もあるのです。単純に解釈すると「少量の飲酒は体によい」ということになります。

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Jカーブ

もちろん、これはあまりにも単純すぎます。もともと健康に不安がある人はお酒を飲まないがゆえに飲酒ゼロ群がリスクが見かけ上高いだけかもしれません。あるいは、少量飲酒できるような人は社会経済的に恵まれているがゆえに健康リスクが低いのかもしれません。うがった見方をすれば、「少量飲酒なら健康リスクが低い」という研究にアルコール飲料メーカーの思惑が影響している可能性だってあります。

最近のある研究では、少量飲酒にも健康に悪影響があり、健康上の悪影響を最小にするアルコール消費量はゼロとされています。一方で、各種ガイドラインでは、「節度ある適度な飲酒」なら容認としていることが多いです。適切な飲酒量を考えるにあたって、一定の解釈の幅、あるいは、不確実性があるのです。

少量飲酒のリスクの大きさはさほど大きくありません。お酒から得られる楽しみのほうが大きいと考える人が飲むのはかまいません。ただ、重い肝臓病や膵疾患であれば話は変わってきます。適切な飲酒量を考えるには、不確実性に加え、人それぞれ個別の価値観や背景疾患やその他もろもろを考慮する必要があります。「最善」は個々の患者さんごとに異なります。医師は、患者さんの個別の事情に十分に配慮して診療すべきです。ただそれは診察室内での話で、書籍ではある程度は一般化して書かなければなりません。その辺りは苦労しましたが、編集者の協力もあってうまく書けたと自負しています。

本屋さんの棚を見ても、アマゾンのランキングを見ても、いわゆる健康本は(もちろんおすすめできる本もありますが)玉石混交です。『最善の健康法』が少しでも適切な医学情報の提供に役立てば幸いです。

*1:2019年5月25日午前0時45時点で変わっている。アマゾンの紹介文って変わるんだ…

血圧の基準値がどんどん下がるのなぜか?

日本高血圧学会による高血圧治療ガイドラインが5年ぶりに改訂され、合併症のない75歳未満の成人の降圧目標が従来の140/90 mmHg未満から130/80 mmHg未満に引き下げられた。

「高血圧は薬で下げるな」「基準値の引き下げは薬を売りたい製薬会社の陰謀だ」といった主張がニセ医学であることはほとんどの人がおわかりだと思う。ただ、高血圧の基準値がどんどん引き下げられることについて疑問を持つ方もいらっしゃるであろう*1。ガイドラインが変わっただけでこれまで病気じゃなかった何百万人もの人が病気だと診断されるなんて、不思議と感じるのは当然だ。今回は血圧の基準値が下がっていく理由について大雑把に説明したい。

血圧の高い人は、そうでない人と比べて、心血管疾患などで死にやすい

今では常識に属することだが、高血圧は心血管疾患のリスク因子である。ただ、これを証明するのは意外に難しい。心血管疾患の患者さんをたくさん集めて血圧を測って高血圧の人が多いことを示しても証明にならない。血圧が高いせいで心疾患になったのか、心疾患のせいで血圧が高くなったのか区別ができないからだ。

研究のスタート地点で心血管疾患のない人を多数集めて血圧を測り、長期間観察して心疾患の発生を数えて比較する必要がある。コホート研究という。こうした研究により、高血圧だと心血管疾患などの病気になりやすいことがわかってきた。こうして高血圧が病気と診断されるようになったわけだ。「これまで病気とみなされていなかった人たちが、新しい医学的知見によって、新たに病気だと診断されるようになる」こと自体は多くの人に受け入れられるだろう。

すごく血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などがすごく減る

「高血圧が心疾患を増やすなら、血圧を下げてやれば心疾患を予防できるのではないか」と考えるのは合理的な推測だ。ただ、これは実際に臨床試験をやってみないとわからない。もしかすると、「動脈硬化などの別の要因で心臓に血液を送りにくくなっているがゆえに体が頑張って血圧を高くしている」なんて可能性もあったわけで、その場合は血圧を下げると逆に心疾患が増えてしまう。

1960年台、いまから50年以上前に、高血圧の人を対象に、降圧薬を飲む群と、飲まない群(対照群)にランダムに分け、降圧薬を飲んだほうが心疾患などの高血圧の合併症を減らすことが示された。ランダム化比較試験という。このころはすごく血圧の高い人(拡張期血圧が120 mmHg前後とか)が対象だったから、臨床試験の対象人数が少なくても有意差が出ていた。

そこそこ血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などが減る

次は「すごく血圧の高い人が降圧薬を飲んだら心疾患を予防できるのなら、そこそこ血圧の高い人ならどうだろう?」と考えるのは当然である。臨床試験を行い、降圧治療の効果が示され、基準値が下がる。ただ、その基準値が最適かどうかはさらなる臨床試験を行わないとわからない。今度は軽症の高血圧患者を対象にした臨床試験が行われる。

細部はいろいろあるが、基本的にはこうしたサイクルによって徐々に高血圧の基準値が下がってきた。ちなみに「すごく血圧の高い人」「そこそこ血圧の高い人」「軽症の高血圧」と言えるのは現在の知識からみた後知恵である。

ちょっぴり血圧の高い人が降圧薬を飲むと、飲まなかった人と比べて、心血管疾患などが減るようだ

このサイクルによる基準値の引き下げは、理論的にはどこかで下げ止まるはずだ。個々の患者さんにおける軽症の高血圧に対する降圧治療の利益は小さく、臨床試験は大規模にならざるを得なくなる(小規模だと小さな差を観察できない)。ここらあたりから結果の一貫性もなくなってくる。それぞれの研究で細かい条件は異なる。日本人と外国人、糖尿病や脂質異常症などの他のリスク因子、血圧の測定方法、降圧薬の種類、アウトカムを心疾患の発症とするか死亡とするか、などなどで、結果が変わってくる。

今回のガイドライン改訂の理由の一つは、海外で行われた大規模なランダム化比較試験である((https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26551272))。糖尿病のない50歳以上の収縮期血圧130~180mmHgの高血圧患者9000人強を、120mmHg以下を目指す集中治療群(介入群)と、140mmHg以下でよいとする従来治療群(対照群)にランダムに分け、約3年強観察した。その結果、集中治療群では従来治療群と比べて年間の複合心血管病発生率が年間2.19%から1.65%に下がった(ハザード比で0.75倍)。ただし、低血圧、失神、電解質異常、腎障害といった副作用は集中治療群の方が多かった。

ガイドラインをどうするかは難しい

こうした研究結果が出たからといって即座に降圧目標を下げたほうがいいとは限らない。とくにこの研究は心血管疾患の多いアメリカ人が主な対象であり日本人に適応できるかどうかは注意を要する。しかし一方で、日本人集団における質のよい研究結果が出るまで放置していいわけでもない。個々の患者さんにとっては軽症の高血圧を治療するかどうかの影響は小さいが、対象となる患者さんが多く集団全体に与えるインパクトは大きいのだ。

その辺りは総合的に判断するしかないし、議論があっていい。製薬会社の影響はそれはあるだろう。なにしろガイドライン一つで薬の売り上げが相当変わるのだ。医師であるなら、ガイドラインに書いてあるからと鵜呑みにせず、批判的な検討が必要だ。ディオバン事件のような不正がある可能性も忘れてはならない。ただ、製薬会社の意向だけでガイドラインを書き換えることなどできようはずがない。

週刊誌等で「飲んではいけない薬」といった特集が組まれ、医師の肩書を持っているはずの人が不正確なコメントをしている。そういう医師の書いた書籍も多数販売されている。不正確でも派手で人目を集める主張をすれ週刊誌や書籍がより売れる。そこには需要があるのだ。製薬会社が儲かるのが嫌だ、とか、血圧を下げるなと主張する「ニセ医学本」に感動した、とかいう理由だけで基準値の改定に疑念を呈するのは不毛である。それよりも臨床研究のデータを精査・検証するほうが建設的だ。

*1:厳密に言えば、今回は高血圧の診断基準はそのままで降圧目標が改訂された